女性は男性社会で活躍したいのか?
この記事読んで思ったことを少々。
「女性にも正当な評価を」というが、何のことはない、男性も「正当な評価」などはされていない。いかに上司に媚を売ったか、いかに粉骨砕身サービス残業や休日出勤をしたか、いかに都合のいい兵隊になれたか…が評価基準であって、そんな中で「女性」は「活躍」したいのか、よくよく考えてほしい。女性が、今ここに厳然として存在している男性原理社会で「活躍」するには、名誉男性になるか、女性も男性と同じ「わきまえる使い捨ての兵隊」にならねばならないし、これをひっくり返すためにはこの不当な評価しかできない狂った歯車を修理せねばならない。
それくらいなら、女性は女性で理想とする社会をまず構築して、モデルを示してみたほうがいい。女性の女性による女性のためだけの社会、企業、役所、議会、首長を持ってみて、男性を徹底排除してみるしかない。野党が仮想内閣を作るのと同じ。
男の口からこういう意見を言うと必ず暴論だとか、さじを投げるなとか、無責任だとか、まず変わるのは男だとか言われちゃうけど、何千年掛かっても変わらない男なんざ一回見限ったほうがいい。行儀よくしていても何も変わらない。
男性というのは痛みに弱い。それはサバイバリティーを低下させるちょっとした異変でも気付けるようにするためだ。そのために防御しようとする力も強い。攻撃性だけが男性性ではない。男性性(男性らしさではない)の真髄はこの「守ろうとする」ところにある。だから既存の制度、既得権、既にある身分…といったものも守ろうとする。そして痛みには弱いがバイタリティーはある。耐える力が強い。HPが高いのにちょっと攻撃受けただけですぐ回復呪文掛けるタイプだ。だから結構難攻不落なのである。
ただ最近は管理職や公務員にはなりたくない男性が増えているともいう。つけ入る隙はあるかもしれない。そんな男が逃げる現場に突っ込んでいきたい人がいるかどうかは謎だが。
ジェンダー平等や多様性社会は、この「女性原理社会」の先にある。男性原理社会というテーゼに対して、女性原理社会というアンチテーゼが提示され、議論し、アウフヘーベン(止揚)することで男女平等(あるいは対等)というジンテーゼに至る。
人類が女性原理社会だったのははるか昔、原始~古代の母権社会くらいだから、女性原理で迎える新しい形の近代はこれから訪れる。つまり何のかんの言って女性は未だに奴隷制度や封建社会にいるのである。
女性原理社会が近代を迎えれば、改めて性的少数者の問題が浮き彫りになるだろう。MtFを排除しようとするシス女性の問題とか。
正直なところ、男女は平等にはならない。平等にするにはあまりに異質だ。これはどっちがか優れているとか劣っているとかいう話ではない。肉体の構造上の問題もあるし、おそらく女性原理社会を構築すれば分かると思うが、その中で男性は「活躍」できない。お呼びでないからだ。
だからその先に私は「男女両立」を見る。
人間としてならあらゆる人間が平等だ。人権や尊厳といった面で平等だし、公正であるべきだ。
そして人間は一人残らず男性性と女性性を宿している。どちらかが優位に働くということはあるが、どちらかしか持っていない人間などいない。交感神経と副交感神経のようなものともいえる。
男性性優位のほうがうまく回る社会が男性原理社会であり、女性性優位のほうがうまく回る社会が女性原理社会であろう。その二つは、どちらも要求される交わる部分、それぞれが優位である部分×2、どちらでもない部分、の4つから成る。その人がどんな体であろうが性自認であろうが、この4つの社会のどこかでは「活躍」ができる。勿論、様々な理由からピットインする人はいるだろう。多様性ある全ての人間がうまく共存できるのが、私が提案している「男女両立」社会である。
果てしなく遠いが、そこは目指さねばなるまい。