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第七章 ミナミ笑業株式會社その2

「今日は挨拶回りや。営業先におまえを紹介するからな」
「はい!がんばります!」
 ドキドキしながら先輩に付いて社を出る。
「お前…一応聞くけど、何が出来る?モノマネとか一発ギャグとか」
「えっ。い、いや自分は…」
「そやろなー。ま、ええか。何とかなるやろ。逆にオモロい言われるかもな。初々しいのは新鮮やし。向こうも分かってて無茶振りしてくるかもしれんし、うん。大丈夫」
「え?」
 全然大丈夫な気がしませんが。と思う間に取引先に着く。
「うちのホープです!」
 いきなりそう紹介され戸惑う田宮。
「え、えと」
「ほほう!ホープか!で、君はどんなオモロい事やってくれるの?」
「え!」
 驚きつつも、さすがに事前の先輩との会話や、朝からの流れで、田宮も薄々気付いていた。笑いに関する「笑業」という職に就いたものは、自分も人を笑わせられなければならないのだ。
 とはいえ、何も準備が出来ていない。就職の時に、いや面接の段階で言っておいてくれよ、と心の中で叫んだ。
「え、えと」
「もう、部長さん人が悪いなあ。新人ですから許してやってくださいよ〜」
 先輩が助け船を出してくれた。
「と言うからには君がいつものやってくれんの?」
「お好きですね〜」
 と言いながら先輩はカバンからスケッチブックを取り出した。まさかのフリップ芸。
 こんな取引先は嫌だ、というテーマで取引先相手にギリギリのネタをやって爆笑をかっさらった。

「ええか、お笑い芸人になったつもりでやれ。お前は今日から芸人や!」
 帰りの電車で先輩はまるで喪黒福造のようにそう言った。ドーン!という音が聞こえた気がして田宮の体に衝撃が走った。
「ただいま戻りました〜」
 明るく言う先輩の陰に隠れるように俯き加減で付いて歩く田宮。今朝最初に課長に挨拶した時とはまるで別人だった。
 憔悴しきった様子を見て課長は迷う。あまり無理させすぎても負担が大きい。パワハラにもなりかねない。しかし一皮むけて欲しいとも思う。真面目な良い人間そうだからこそ。
 いや、しかし…課長は自分の新人時代を思い出す。今の田宮と同じように出来ないお笑いを強制的にやらされていた。正直言って苦しかった。ある時ヤケクソになって恥を捨てやったネタが受けて、というかその思い切った行動に対しての称賛であり、面白かったわけではなかったのかもしれないが、それ以降課長は自信がついてバカな親父ギャグでさえ平気で言えるようになった。
 その経験があるから、もしかしたら田宮も同じように無理にでも何かやらせれば慣れてくるかもしれないとは思う。しかし、あの時実際自分は辛かった。同じ目に合わせたくない。それに辞めてしまうかもしれない。
 もう少し…様子を見るか。課長は苦渋の決断をした。
 その後も田宮への無茶振りは続いたが、なかなかうまく返せなかった。少しずつ、ほんの少しずつではあるが、下手くそながらも何か返そうと努力が見えて来た頃、田宮五郎は退職した。
「まあ、向いてなかったし、しゃあないですわ」
「そやなあ」
「真面目そうやし、あの子にもっと向いてる仕事がありますわ」
 そうだろう。課長はそう思いつつも残念だった。自分だって真面目だった。しかし今は課長にまでなれた。田宮だって、もしかしたら。あんな人間だからこそ化けると誰よりも光るかもしれない。
 しかしいつまでも考えている暇はなかった。田宮五郎の穴を埋めるように新人が入って来た。お笑い芸人をやっていたが上手くいかず、それでも何かお笑いに関係する仕事がしたいと言って入社してきたのだ。こういう事はよくある。同じようにお笑い芸人をやめて入社して来て今も続いている人間は何人もいる。

 その日課長は家でテレビを見ていた。お笑いに関するドキュメンタリーだった。仕事柄、こういう番組は参考程度に見ておく。
 1人の売れない若手芸人の生活にスポットを当てていたのだが、それは宮田五郎だった。
 すぐには気付かなかった。顔つきが前とは違った。なにか清々しい顔だった。
 課長は驚いた。あり得ないことではない。ウチの会社で働いてお笑いに目覚めて、芸人を目指す人間。沢山いる。
 しかし田宮五郎だ。お笑いをやる事が苦手で辞めていった筈なのに。
 どうして、なにがあった?
 番組は宮田五郎へのインタビューの場面になった。ボロアパートで笑顔で答える宮田五郎。
「なんで芸人になろうと思ったんですか」
 課長が知りたい質問だ。宮田五郎が口を開く。
「僕、ミナミ笑業に入社してしたんです」
「あの、お笑い関連の」
「はい。そやけど全然上手くいかんかったんです。あそこはただお笑いに詳しかったりお笑いが好きやったらやれる仕事じゃないんです。自分もお笑いが出来んと無理なんです」
「そうなんですね」
「そやからお笑いを出来るようにならなあかんと思ってお笑い芸人になりました」
 衝撃的だった。お笑い芸人になりたくて目指しているのではないのだ。ウチの会社で働くためにお笑い武者修行に出たのだ。

「どこまで真面目なんや…」
そういうとこやぞ、宮田五郎。

その後宮田五郎がどうなったかは、また別のお話。

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