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最後に働いた老人ホームの話
こんにちは、マサラティーです。
私が31歳の頃から3年間。
自宅から近い、小規模の老人ホームにパートとして働いたことがあった。
入居者さんの人数が20人もいないので、
季節のイベントが多く明るい職場だった。
職員同士のドンパチはありましたが(笑)、
決して陰湿ではなく、トータルで見て
とても明るい雰囲気の職場だった。
そこに入居されていたある1人の方。
往診居の診察で、内服薬は処方されていましたが
持病なし。
亡くなる2~3日前まで介助で食事摂取。
最期は施設でお看取りでした。
ご高齢でしたので、意思疎通できない時も多かったですが、スタッフや入居者さんからも愛される
人生の大先輩でした。
私が働いている3年間で、少しづつADLが低下。
最期の1ヶ月くらいは流動食の誤嚥を繰り返して
いた。
スタッフ間でも、いつまで口から食べさせるのか?本当に介助で食べさせてよいのか?など疑問が湧いてきていた。
(これが病院だったら、看護師だけの判断だったら、即中止です)
食べるのが大好きな方でしたので、口元にスプーンを運ぶと確かに食べてくれる。意欲がある限り
食べさせてあげたいというスタッフの意見も
あった。
きっとみんな言葉にしてはいないけれど、分かっていた。
病院に入院して戻ってくるコースではなく、
間もなく施設で看取りになることを。
大好きな入居者さんとお別れになることを。
(ご親族からは、高齢なので最期は施設でという
希望だった)
意見がぶつかり合う日々が続き。
ある日、私がその方の食事介助を依頼され実施
する。
もう飲み込む力も無く、食事させられている状態。
食事がしたい!というご本人の意思は全く感じなかった。
私は看護師という立場と権限で決めた。
誰もが言い出しにくい一言を発した。
「危ないのでもう食事はやめましょう。ご家族に
話ます。」とみんなに宣言。
施設長や介護スタッフも状況は理解してくれた。
誰からも反論はなかった。
その後の看護師の仕事は、往診医とご家族への連絡と調整、意思の確認、色々ありましたが全てが
スムーズでした。
お別れは悲しいけれど、みんなどこかで納得していました。
それから‥
食事を止めて数日後に、穏やかに亡くなりました。
まとめ
私はこの経験から、「悲しい」「良い介護ができた」「良い思い出だった」「人生の最期について」などを考えて、ここに発信したいのではないです。
この時の私は新人看護師ではなく、医療システムに疑問を持っていた人間。
この貴重な経験が、色々と深く考える1つのきっかけとなりました。
この入居者さんにとっては、人生残り最期の数日。
「生き方」を私達に教えてくれました。
しばらくして、職場の休憩室にて。
1人でお茶を飲みながら。。。
「看護師を辞めよう。自分の人生を1歩進めよう。」と、ふっと思いました。
寂しい気持ちを胸に、その後老人ホームを退職しました。
この流れは、世の中があの騒動になる前の出来事です。
看護師辞めよう・・なんてこの時が初めてではない。
もっと深い思い。違和感。
言い換えると「もう、この業界を去ろう・・」
です。
今日も過去の振り返りでした。
それでは、また!