得意・不得意なんてたかだか「知ってること、できることの多さ」で決まると思う
小1の神波少年。
朝起きて朝ごはんを待っている目の前で、親が新聞を読んでいた。新聞の裏側には数独パズル。当時7才だった僕には全く解けず、親にも解き方を聞かず、勝手に挫折。できないことは恥ずかしいって直感的に思ったから聞けなかった。
同じく小1の神波少年。算数の時間で本来小3で習うはずの「かけ算」を先生が教えてくれた。40人いた教室でただ1人だけ手を挙げる女の子。「インイチガイチ!」と即座に答えて見事正解。「2年先取り」という圧倒的視覚イメージを見せつけられ、その女の子の姿がいつもより眩しく、ヒーローみたいに見えた。
その子はうちから徒歩10分の「そろばん教室」に通ってた。何やらケイサンが速くなるらしい。親に頼んで、早速そこのそろばん教室に入れてもらった。
以降小学校卒業までの6年間、月水木金と週4回そろばん詰め。月水金は17時から19時までの2時間で、木だけ18時から20時半までの2時間半。サッカー、缶蹴り、ドロケイ、大乱闘スマッシュブラザーズという「小学生流 放課後の"ツキアイ"」を6年間週4回も返上した。おかげでスマブラは超弱い。中学からはサッカー部に入った。
できるようになったから得意になった
おかげで計算が得意になり、通り過ぎる車のナンバープレートをみては頭の中のそろばんを動かして、「全て足した数字と引いた数字が割り切れるかどうかゲーム」をして遊べるほどになった。もちろん新聞に載る軽い脳トレレベルの数独なんて楽勝。簡単すぎて物足りないと感じた。
そろばん教室の恩恵は中学・高校でも続き、数学は全く苦労しなかった。多分5以外の成績をとったことがない。というかトリカタガワカラナイ。
人より計算が速いってことが自信になって、問題演習が苦じゃなくむしろ楽しかったので、どんどん解いて得意になった。
(23歳の今ではもう当時の計算スキルは全く残っていません。頭の中のそろばんもいつの間にか消えてました)
得意・不得意なんて所詮こんなもん
こんな小学校の経験から、「得意・不得意なんてたかだか知ってることやらできることの多さで決まる」と思っています。つまりなにかを「苦手」と思うのは、その分野について現状知っていることと、できることが少ないからで、その分野について100あるうちの70くらい覚えてしまえば自然と得意になってるでしょう。
英語でも、エクセルでも、薬学でも、SEOでも、なんでもそうじゃないですかね。得意になってしまえばこっちのモンで、あとは放っておいても体が学びたくってウズウズしてくる。体が、脳が、スマホを動かす指が、たとえ制御したってとまらない。
こうして70から90くらいまでは勝手にできるようになっちゃうんじゃないかな。90も覚えりゃもう「得意」っていえるでしょう。もちろん「100まで極めるまでは得意と呼べない」という職人気質の方の意見は全く否定しない。
ようは得意になるためには「70覚えるまで」の勝負なわけです。11月末までに70覚えてしまえば、国家試験には合格できると思う。なので僕にとって11月は勝負の月ですな。
ちなみに才能は別の話と思います。才能がプラスであれば習熟速度が人より速いでしょう。事実、小1でヒーローになったあの子には才能があり、6年間かけても全く敵わなかった。しかもあの子は僕よりも早く来て、僕よりも長く教室にいたから尚更敵わない。僕より深く夢中だったんだと思う。
努力じゃ夢中に敵わないというように、夢中じゃもっと深い夢中に敵わなかった。このめちゃめちゃ深い夢中になれることをして生きていきたい。