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稽古考50

■ 2005/09/17  郡山道場(土曜日クラス)「稽古通信」

窓を開放すると涼しい風か入ってくる。少年部、土曜日なのに運動会の練習と3~4人が稽古休み。金曜日クラスと同じ、先週から始めている体転換の稽古も新入会者なんとかこなしている。

体転換から『抑え込み(裏)』『回転投げ』『入身投げ』と続ける。これらすべて捌きは同じである。最後の15分間は、それぞれ前に出て、3組ずつ5分間、気合いを発した技を、休み無くやる。紫帯の3名は、青帯や白帯と休まず相手、2組3組みと連続したので15分ぶっ通しとなる。さすが終わってから、一言。「疲れた」。

一般部。郡山道場土曜日は毎回ビジターが多いクラス。今回も6名のビジターが参加。春に茨城県へ就職した元道場生も加わって賑やかな稽古。このところよくやる交差取り『二教極め』。今回も道場の此処そこで、「う~」「うぎゃ~」の声。故に、ちょっとアドバイス。『二教極め』再考、交差取りであれ片手取りであれ『二教極め』の際、「取り」は肩や腕に力を入れてやらないことである。力を入れれば入れるだけその分呼吸が疎かになり、相手の中心を崩せなくなる。『二教極め』は、「受け」の手首、肘を畳に並行、直角に持ってゆき、極める。

だからそれを嫌い腕と腰を引く人が多い。いかにも「いくで~」と、怖い形相で極めに来る「取り」に腰が引けるのは分かる。が、逃げたら最後、相手に中心にくい込まれてしまう。これは二教を極められた時の「受け」の状態(崩れた時の体形)を想像すれば解りやすい。「受け」は逃げないようにする

どんなに相手の形相が変わっていても腕を(相手の)為すに任せて上体を少し前に出てみてはどうだろうか。「それは相手の思うつぼ」と声が聞こえてきそう。でも、そうする事によって少なくとも「手首を極めてやろう」と思っている相手はそこに気持ちがゆき、「受け」の中心に入って来ない。違った方向に力(呼吸ではなく)を入れてくるだろう。

『畳に並行、直角極められている手首、腕は少し押し気味に力を(当然、腰を据えて)入れる。相手に極めさせたままで足を動かさず、少しだけ上体で入身する』。一度試す価値はありそう。しかし、優しい表情で来る、余分な力を抜いた「相手」であればこれは「注意」。前に出て来る「あなた」に合わせ、回した手首に固執することなく間合いを計り直し呼吸法で極めに来る。これは「アカン」。素直に「参った」である。

ピクチャ 5


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