稽古考22
■ 2003/06/09 「少年部研鑽会」考
少年部研鑽会が一昨日おこなわれた。何人いたのか多すぎて、数は読めない。枚方無心館道場(永瀬道場長)から20人の参加があった。以前から三松禅寺の研鑽会には参加をいただいているが、少年部であれだけの参加は初めて。遠いところをご足労頂いた(しかも殆どが電車だと言う)。
果たして研鑽会は成功裡に終えた。勿論、子供に怪我なく、運営上のトラブルもなく終える。加えて、「あそび」の部分が多くある日常稽古とちょっと違い、子供達が真剣さを見せた、緊張感のある研鑽になっていたことが嬉しい。
日常的に少年部を指導していると、少しざわついたりなど枝葉末節はさほど気にならない。全体として雰囲気がどうであったか、どの部分に子供達は真剣であったのか。が、基準になる。それから判断すると、研鑽会は充分意義のあるものになっていたと思う。恐らく、枚方無心館の統率のとれた(緊張感をもった)少年部稽古生が、刺激になった結果ではないだろうか。私にとっては、それが今回の研鑽会の収穫であった。
私はひとつの催しで必ず、なにがしかのモノを掴みたい、と日頃、構えながら参加している。特に少年部に関しては三松禅寺道場その他、自己流にやってきましたから、よく言えば「個性的」となるのだろうが、実は「他を知らない」と言う事にもなる。
以前から高の原道場での上村指導員の少年部指導に興味を覚え、参考にさせてもらってる。今回の研鑽会の準備体操の指導も、子供達を充分引きつけていた。子供達は滑らかに稽古入っていける。私には、あの「滑らかさ」は出せない。
少年部の稽古は、なにも合気道の技を教える事だけではない。むしろ技は、ゆっくりとした稽古の時間の中で醸成されてゆけばよい。と、これは野村師範から何年か前に知らされたこと。最近忘れている事が、多い。枚方無心館の徳田先生の指導に、私などは、基本に返って指導を行う事の大切さを知らされる事になる。前立ちで説明した後の、「先生と受けの子供の礼」。ビックリしましたが、考えてみるとこれは当然かもしれない。少年部だからといって上下に「みなさない」、稽古上の人格として「礼」をもって接することの必要を知る。
技の指導も然りである。「交差持ちの一教」も、入り身を中心に分かりやすく説明しておられた。(私のように技全体を教えるのではなく)足、腰、手を一緒に移動すれば(入り身すれば)相手は動きますよ。と、実に明快。驚いたのは、それに続いて「二教」まで指導されていたこと。
私などは少年部に「二教」は教えない。一般部の「二教」のイメージから少年部には必要ない、と決めつけていたもの。徳田先生の「一教」の延長、「二教」の指導は、少年部の理解可能な範囲での技の「流れ」であった。最初は「すんなり」出来なかった三松禅寺道場生だが、何度かやるうちに「流れ」をそれなりに理解し、おこなっていた。
私は、少年部の昇級科目にそって技の指導を行う事が多い。恐らく間違いではないのだろう。が、他を知る事の「大事さ」を、(『何を少年部で教えるのか』と言う根っこのところの問題として)実感する。と、そんな事を考えた少年部研鑽会であった。