稽古考39
■ 2005/02/08 『研鑽途上』考
やりやすい(投げ易い、極め易い)相手と稽古するより、やりにくい(投げ難い、極め難い)相手と組む方が稽古は充実したものになるだろう。自らの足りたる所を披露展開するより、足らざる所を知る方が有益だ。と、稽古については言えるのではないか。最近そのような事を考える。
研鑽途上にあることを忘れ、自身の『解釈』のみを押しつけ稽古する。果たしてこれで、自身の「深化」は獲得できるのだろうか。有段者同士は言うに及ばず、有段者と中級者の稽古に於いても見かける。初心者には初心者、中級者には中級者、上級者には上級者の、それぞれの現在の在るべき姿、そして獲得したものがあるはずです。それを尊重しながら稽古はおこなってゆくもので、『気を合わせる』事の意味でもあると思う。
今度の(奈良)寒稽古に寄せて、野村師範から『合同寒稽古にあたって』の文章が届きました。平成5年7月の「合宿研鑽によせて」、同年10月の「住吉道場二十周年研鑽会によせて」と同様に我々が指針とすべき事が書いてあり、大変参考になります。稽古のあり方について、また、学びの段階について、そして、指導の指針に至る事柄、など。何よりも読み込んで欲しいのは、有段者の『序』から『破』へ向かう自身の有り様についてです。特に有段者は一読後、稽古に臨まれれば良いでしょう。