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歎異抄を読む 第十一条

唯円さんが師訓篇を書いた理由

歎異抄は、第一条から第十条が師訓篇、第十一条から第十八条は異義篇と言われる。
師訓篇は、唯円さんが「故親鸞聖人の御物語のおもむき、耳の底に留まる所いささかこれをしるす」というかたちで、親鸞聖人の口伝の言葉を耳の底から引きだして、文字に書き記された。それが第十条の途中で転換される。
「そもそもかの御在生のむかし」の箇所から、唯円さんがご自身の言葉を語り始める。
そもそも、第一条から第十条はなぜ書かれたのか。「ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと」。
唯円さんが、この歎異抄を誰に向けて書いたのか、それは、直接には、かつて、関東から京都まで、親鸞聖人の元へ教えを求めて共に旅した仲間がいらっしゃった。その仲間の人たちから念仏の教えを受けた人たち、唯円さんがこの歎異抄の読者として想定されているのは、そういう人たちです。そういう人たちから、どうも、親鸞聖人の教えとは違うことが聞こえてくる。お仲間のお弟子さんたちですから直接親鸞聖人から教えを受けたわけではない。なので、唯円さんは、先ず、確認したかったんだと思います。自分が親鸞聖人から直接こういう教えを受けた。同じ教えを受けた仲間からも、親鸞聖人の教えを伝え聞いているはずだ。それを先ず確かめさせてほしい。
そういう意図で、唯円さんは第一条から第十条まで、筆を走らせた。

対話、平等、使命

ここに、はっきりと歎異抄は対話をベースにしていることがわかる。著作者が親鸞聖人から直接教えを受けたことを根拠にして、あなたたちは親鸞聖人と会ったことがないからわからないかもしれないが、聖人はこういうふうにおっしゃっているんだと、一方的に「違う」と糾弾しているものではない。そうではなく、対話の中で、親鸞聖人の教えを確かめ合おうとされている。
これは、仏教の教えの在り方あるいは師弟関係やサンガを考えたとき、少なくとも日本ではあまりなかった在り方だと思います。親鸞は弟子一人ももたずそふらふ、という第六条で書かれている師弟関係、それを唯円さんは、確実に親鸞聖人から引き継がれている。それは、また、第二条、第九条から伺い知れる、親鸞聖人がどのようにお弟子さんの方々と接しられていたかということも重なってくる。
平等に、阿弥陀仏から信心をいただき念仏を称える者という意識が働いている一方で、先に道を歩む者として、後に続く者に正しく教えを伝えていくという使命、責任がある。
唯円さんが歎異抄を書いたのは、この正しく教えを伝えていく使命感、責任感を強く感じていたからでしょう。ただ、その困難さも痛切に唯円さんは感じでいた方でしょう。おそらく求道ということにかけて、非常に厳しい態度で臨まれた方ではないでしょうか。
少なくとも、親鸞聖人がおっしゃっていることをそのまま鵜呑みにして、師からの受け売りで、念仏すれば救われると説いて回るような人ではなかった。
ホンマに念仏で救われるのかって、突き詰めていった人であった。
おそらく、親鸞聖人から直接教えを受けたなら、それをご自身で確かめなくてはいられなかった、そういうひとだったでしょう。そうでなければ、第九条のような質問を親鸞聖人にはしなかったんではないだろうか。

反復されてきた問題

さて、第十一条から、歎異抄の本編が始まります。第十八条まで、唯円さんが取り扱う異義は八つ。その最初に置かれた異義は、誓願を信じて念仏を称えるのか、また、念仏を信じるのか、どっちなんだと、誓願と念仏を分ける、そういう異義です。

これ、最初読んだ時に、何が問題なのかって、はっきりしない。で、調べていくと、結構、大変な問題、大変というのは解決の難しい問題なんだと理解できる。
この問題は、法然門下で、すでに提出されている問題で、今も、決着がついていない。それぞれ宗派として独立して今に至っているんですね。
信じることを大切にする、あるいは、念仏を称えることに励む、そういうふうに、同じ法然門下から分かれていった背景が、この第十一条にあります。
では、親鸞聖人の立場はどっちなのかというと、どちらでもない。どっちも大事だというお考えです。兄弟子で隆寛律師という方が、一念多念分別事という書物を書かれていて、そこで、この問題にどっちも間違いだと答えを出していらっしゃる。その隆寛律師の答えを親鸞聖人も引き継がれています。それはご消息にも確認できます。
隆寛律師、親鸞聖人が応えられてきた問題に唯円さんも立ち会うんですね。
親鸞聖人が亡くなられてから三十年経っている。時を隔てて、答えを出されているはずの問題が蒸し返されていたんですね。
なぜ繰り返されたのか、そこは実証的にも確認してみたいところですね。
推測の域を出ないのですが、おそらく、先ほど分派した浄土宗の影響はあったんでしょうね。真宗教団も現在のように確立されていなかった。少なくとも組織として流動性が高い状況だったのだろう、ご門徒も出入りが多く、地域差もあったでしょうね。何より、浄土系の仏教は弾圧の対象であったわけで、朝廷、幕府とどのように折り合いをつけるか、権力をかさに攻撃してくる他宗や地域権力にどう対応するか。そういう社会の中で、実際どのように生き残っていくかが浄土宗派全体として喫緊の課題だった。つぶされれば終わりで、つぶされないために、宗旨を変えた一派もあったはずです。法然聖人は、念仏ひとつ、余行は捨てなさいとおっしゃってますが、余行を受け入れざるをえなかった一派もあったんじゃないか。看板を他宗に付け替えた一派もあったんじゃないか。

唯円さんがはっきりとさせたかったこと

唯円さんが歎異抄を書くときに、実際の浄土系の宗派の状況を目の当たりにされていたはずです。弾圧や宗旨替え、門徒の離脱、あるいは門徒の囲い込み。唯円さんにとっても、親鸞条直弟子の一人としての使命感から、そういう現実的な状況への対処は喫緊の課題だった。だから、はっきりと浄土の教え、親鸞聖人の教えについて、ご同行の中で確かめ合う必要があった。そこで、この異義篇の最初に、誓願不思議を信じるか、念仏を信じるかという問題を取り上げられた。
その異義を踏まえて、親鸞聖人の教えの核心をはっきりさせておく必要が、唯円さんにはあったんだと思います。
親鸞聖人の教えの核心とは、第一条の冒頭に書かれています。

弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもひたつこゝろのをこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とすとしるべし。

歎異抄 第一条

第十一条の異義は教えの核心に関わる重大な異義と唯円さんは捉えられた。
ここでは、唯円さんは、ご自身の言葉で、第一条を繰り返されます。

誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて、この名字をとなへんものを、むかへとらんと  御約束あることなれば、まづ弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまいらせて、生死をいづべしと信じて、念仏のまうさるゝも、如来の御はからひなりとおもへば、すこしもみづからのはからひまじはらざるがゆへに、本願に相応して実報土に往生するなり。これは誓願の不思議をむねと信じたてまつれば、名号の不思議も具足して、誓願名号の不思議ひとつにして、さらにことなることなきなり

歎異抄 第十一条

一見して、唯円さんの読み手に対しての気遣いが見てとれます。第一条を踏まえつつ、かみ砕いて説明されている。それは、誓願不思議、名号不思議とさかしらに分別する異義を発する人たちだけではなく、一文不通のともがらまで意識されての書きっぷりです。
さらに、唯円さんはここで、無量寿経を参照されて、異義を解き明かしていらっしゃいます。とても念入りに論旨を組み立てているのです。
唯円さんがここで参照されているのは、第十七願、第十八願です。

(一七)  たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。
(一八)  たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。

無量寿経

この第十七願、第十八願を元に、唯円さんは「誓願名号不思議ひとつ」を解き明かされている。「如来の御はからひなりとおもへば、すこしもみづからのはからひまじはらざるがゆへに、本願に相応して実報土に往生するなり」。
歎異抄第八条にもあるとおり、念仏は非行非善。念仏者自身のはからいが交わらない。念仏を称えるのは阿弥陀仏のはからいであるからこそ。すべて他力のはたらきであること、すなわち、本願に相応するからこそ、実報土、つまり真実の浄土へ往生するのです。親鸞聖人は、無量寿経で説かれる四十八願のなかで、第十八願を本願と位置づけた。そこに立ち返って唯円さんは親鸞聖人の教えをはっきりと確認するよう、ご同行に促しているのです。
特に、「誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて、この名字をとなへんものを、むかへとらんと 御約束あること」と至極丁寧な書き様。ここで、唯円さんが異義とおっしゃているのは、ただ親鸞聖人の教え説かれた内容とは違うことだけでなく、ご同行への態度も異義として指摘されていることは明らかです。

唯円さんの慈悲

この第十一条の後半で、唯円さんは自力の念仏について解かれています。
「誓願の不思議をばたのまず」、「名号の不思議をも、また信ぜざる」自力の念仏は、親鸞聖人によれば、無量寿経の第十九願、第二十願に相当します。確認してみましょう。

(一九)  たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終る時に臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。
(二〇)  たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん。果遂せずは、正覚を取らじ。

無量寿経

教行信証の化身土巻に、第十九願、第二十願は方便の浄土として整理されていて、これらの願を通して、衆生を本願である第十八願へ導くものとして位置付けられています。
三願転入として概念化され、真実の信心へのプロセスとして説明されるのですが、今は、これ以上深くは立ち入りません。
ともかく、ここで押さえておきたいのは、第十一条にも、「信ぜざれども、辺地懈慢疑城胎宮にも往生して」と、自力の念仏の行く先を唯円さんがしっかり解かれていることです。
辺地とは、浄土の辺境。懈慢とは、懈怠、つまり怠け者と慢心の者の世界。そして、疑城胎宮は、本願を疑うものの世界で、蓮華の中につつまれて、五百年の間、仏に遇わず、法を聞かず、聖衆を見ることができないと言われる世界です。
自力の念仏者は、これらの世界へ生まれ変わる。そして、本願を信じない、あるいは疑う罪をつぐなって後、第二十願にある果遂の願により、浄土へ迎え取られる。
唯円さんは自力の念仏者も、誓願不思議、名号不思議によって救われることを示して、「つひに報土に生ずるは、名号不思議のちからなり。これすなはち、誓願不思議のゆゑなれば、ただひとつなるべし。」と、第十一条を結ばれる。
なぜ、自力の念仏者について、唯円さんは書く必要があったのか、ってところですね。
異義を正すのであれば、他力の宗旨を説き明かせはそれでよかったんではなかったのか。
そう感じるんですが、そこでとどめるのではいかんのだと唯円さんは考えられた。つまり、ただ親鸞聖人の教えとは違うと指摘するだけではすまない問題として唯円さんは捉えていた。では、唯円さんがほんとうに嘆いていることは何なのか。
第十一条から離れますが、それは後序の最後に書かれています。

かなしきかなや、さいはひに念仏しながら、直に報土に生れずして、辺地に宿をとらんこと。一室の行者のなかに、信心異なることなからんために、なくなく筆を染めてこれをしるす。なづけて「歎異抄」といふべし。外見あるべからず。

唯円さんにとって、信心は真実の信心であり、第十八願、即ち、本願にもとづく信心であり、直に報土へ往生する道であり、それこそ親鸞聖人から受け継いだ教えなのです。ただ、その道から逸れてしまう人たち、ご同行を目にすると、どうにもたまらなかった。
なぜ逸れてしまうのか。それは、自力、自らのはからいのためだと唯円さんにはわかっていた。ひとはどうしても自力から離れられない。そう唯円さん自身、身に染みていたからこその警句として、第十一条を書かれた。
と同時に、「ただひとつなるべし」と結んでいるのは、だから、親鸞聖人の教えに立ち戻ろうと呼びかけられているのではないか。そこに、唯円さんの慈悲を感じとらずにはいられないのです。

南無阿弥陀仏

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