子供が犯罪に巻き込まれるのは大人の余裕のなさの仕業
またしても3歳の子供の命が。
悲しい悲しすぎる。そしてはらわたが煮え繰り返るほどに腹立たしい!
どうして子供が巻き込まれねばならぬのか。どうしたら少しでも子供が犯罪に巻き込まれない世になるのか。本気で考え続け、できることは取り組んでいます。
とにかく大人は子供をコントロールしすぎる節がある。
そもそもコントロールをしようとするのは無理があるし、子供にわかりやすい説明や忍耐を持たないところ(心の余裕)がないのは大人としての課題であり子供に大人の都合を押し付けて、何となく無理くり理解させているというところがあると私は思っている。
感情をコントロールできず、忍耐もなく、説明能力もない。ただただ何となく空気感や自分自身のストレス(余裕のなさ)で子供に対して圧力をかける(コントロールしようとする)のは大人としての大きな間違いなんじゃないかなと。
最近思うのは子供は生まれ落ちる環境周りの社会から大きな影響を受けるわけでそれが人生の大半に影響を及ぼします。これはすなわち関わる大人の質により子供の可能性を保持もできるし失ってしまう結果にもなる。
言い方悪いが、教育はある意味では洗脳でもあるわけで、そこにすら気がついていない人たちが周りに多すぎると結果同じことの繰り返しになるわけ。(よく理解せず意味もわからない中でルールだからとか当たり前だからとか説明ができない事を感情で押し付けてしまう。あとは同調圧力)
人は可能性を持っていて何色にでも変容することができる。純粋な心と可能性を真空パックするためにも、子供にとっての良き理解者の大人で居続けたい。
しかし本当に心に余裕のない人が多い。子供を巻き込むなよ。って思う。
少しでも子供が幸せな社会を作っていきたい。
まず大人が幸せにならなきゃ行けないし、余裕を持たなくちゃいけない。余裕を持つためには少しの経済的自由と、他者貢献感が必要だと思う。
エネルギーを内向き(自分自分)に向けるのではなく、外に向けることで自ずと成功すると思う。
成功とは自身が満たされることであるが、いわゆる満足な生活をすること不自由のない人生を送ること。といった自分中心なことと思いがちだけど、自分本来の在り方に沿ったレールに乗り、他社に貢献し、事をなす、功を成す。状態だと思う
つまりもっとわかりやすくいうならば、愛にあふれた状態。とも言えるかもしれない。
本来親になる事で、無償の愛に触れるわけだけどこの状態こそが人間の本来の功をなしている状態で成功する生き方だと思うし誰もが幸せになる生き方だと思う。
つまり子供が被害を受ける世の中はまだまだ世俗に塗れていると思ってしまう。こんなこと言っても仕方ないんだけど、マジは自分にできる範囲のことに真摯に向き合い、使命を全うしたいなと
追伸
子供嫌いな人にはろくな奴はいないと思うのである。「子供嫌い」と思っている大半の人は、接し方がわからない。という人。ガチで子供嫌いな人は仲良くなれる自信がない。