「普通」に憧れて。

はじめに

まずはこの記事を開いて頂き誠に感謝いたします。先に断っておくことがありますが、今回の記事はいつもとは少し……いや、だいぶ違ったものとなります。記事というよりはエッセイです。

なぜこんなものを書いているのかと言えば、僕自身も正直分かりません。突然書きたくなったからです。エッセイということなので以下は敬語では無く常体を用いて書かせて頂きます。ご了承ください。

それではごゆっくり。


「普通」に憧れて。

まずは最初に一つ。

この文章に書かれていることを読んで「自分が恵まれてる癖にこんなことよく言えるな」と思うかもしれない。別になんの無理もない、実際自分もそう思っている。

ただ、この文は私がそのことを踏まえて、自分が恵まれているということを十二分に理解した上で、話していると思って欲しい。それでも抵抗感を覚えるのであれば構わない。結局これは、どこまでも私のわがままな愚痴にすぎないのだ。

さて、まずは「普通の生活」を思い浮かべてみて欲しい。

普通とはなにか、定義は人それぞれによって変わってくるだろう。周りと同じで目立たなければそれが普通。いや、例え人と違えど小さいころから教えられてきた事こそが普通と思うかもしれない。それ以外の定義もきっとたくさんある。

私の「普通」の認識はどちらかと言えば前者に近い。小学校に入る前から私は周りの目を気にする子供だった。それが天性なのかもしれないし、あるいは幼いころから親が厳しくしてくれたおかげかもしれない。

どちらにせよ、私は周りから悪い意味で目立つのが嫌だった。

簡単に私の背景を説明しておく。私は日中のハーフであり、幼稚園までは中国、小学生はまた別の国にある日本人学校、そして中・高はインターに通っていた。このことは後から幾度か絡んでくる。

小学の頃に通っていたその日本人学校は生徒数が極めて少ない。全学年(小1から中3)を合わせても多くて50人、少ないときは40すら切っていた。

そんな小さな学校では、学年を問わず生徒間の関係が非常に親しくなる。私が低学年にいた頃はクラスメイトが2,3人しかいなかったこともあった。

そんな低学年の頃、私は決して犯してはならない過ちをしてしまった。

日中の関係は決して良好とは言い難い。ただ、実のところ大半の人はそこまで気にしなかったし、実際に私の母(中国人)は大抵の日本人の母親方と言語面では少し手こずりながらも仲良くやっていた。

もちろん、国籍だけで先入観を持ち関係を拒否する人も居なかったとは言えない。クラスに数人しか居なかったときでさえ、クラスメイトの一人の親は「中国人だからあいつとは遊ぶな」なんて伝えてたらしい。

別にそれ自体は当時だって今だってそこまで気にしていない。思いたいことを思えば良い。ただ、それをきっかけに私は無自覚のうちに自分に対するイメージが変わりつつあった。

「自分は周りと違う」

小学生ながら私はそう思った。最初はそれがどうこうしたわけでは無い。でも私は「悪」目立ちするのが嫌いだった。自分はハーフだから周りとは違う。今思えば別に良くも悪くも無い、ただ単に「違う」だけだったのに。

しかし小学生の私はそれを悪目立ちだと決めつけた。

そしてその理不尽な思い込みを誰かの所為にしたかった。

その誰かは、私の母親だった。

ある日、私は母親に「日本語ができないから恥ずかしい」、そう言った、言ってしまった。今でも後悔している。

考えてみて欲しい。自分がつらい思いまでして産んだ子供に、単に「周りと違うから」恥ずかしいと言われた。どれだけショックを受けただろうか。結局私も人を、それも自分の母親を、国籍以外の何でも見ていなかったのだ。

母親はなんとか許してくれたが、私は自分を許していない。その後も似たような失態を繰り返してしまったことは反省してもしきれない。

当時から私は自分が「普通じゃない」と思い込み始めていたのかもしれない。日中ハーフ。海外在住。日本にも住んだことがないしこれからも住むことがないだろうと知っていた。

私はそれが嫌だった。周りと同じがいい。目立ちたくない。そう考えているうちにいつの間にか私は人との違いを無意識に悪だと思っていた。

低学年から抜け出すとクラスメイトたちとも非常に親しくなった。今でも彼らとは時折連絡をしている。ただ、当時も私は自分が普通、周りと同じだとは思えなかった。

基本的に小学生たちが誰かの家で遊ぶとき、連絡は母親たちが取り合うが、私の母親は日本語が不自由なこともあって比較的に誘われる回数は少なかった。差別というよりは、単に他の母親たちの方が言葉が通じ合うため親睦が深めやすかった、それだけだ。

だから学校では周りと親しくなっていた私だが、どこか心の奥底では仲間外れにされていたような気もしていた。

そしていつの間にか小6になる頃、私は日本人学校を後にする。

インターは英語での教育だった。日本人学校を離れた理由は主に一つだけ。将来日本で高校に通うのが非常に難しいから。

日本の一般的な高校となると少なくとも親の片方が子供についていく必要がある。仕事の都合上、私の家族は恐らく未来永劫外国で住むだろうということは知っていた。父親は職場が外国なので、となると仕事をしていない私の母親とともに日本に行くことになっていただろう。

ただ、現実的にもそれはあまりにもハードルが高すぎる。そもそも私が通訳できたのはその時点では日常会話ほどだ。法的な書類などとなると色々とわからないことがあっただろう。

一応インターに入る前は、幼稚園から英語の塾に通っていた。しかしいくら入学は簡単でもインターはインター、いままでテスト対策の英語しか勉強してこなかった私にとってはおこがましいほどのレベル差だった。

私は入学してすぐに泣いた。確か体操服を校内で買うだけだったのに、それすらもうまく出来ずに、自分がこれからどうすればいいのか分からずに、私は部屋で泣き崩れた。

その日、私の母親は日本人学校に戻るかと聞いてくれた。彼女は将来的に日本に帰ることすら覚悟していたのかもしれない。

しかし私は断った。

母親に負担をかけたくない、なんてのは美談に過ぎない。本当のところ私はただ単にプライドを傷つけたくなかっただけだった。このまま日本人学校に戻ると周りから「あいつ英語できなくて帰ってきたんだ」と思われるに違いない。

臆病な私はそれが嫌で、怖くて、だから母親の提案を断った。

結局私はそのインターで切磋琢磨しながら中2を終えた。ただ、一つだけインター校で良かったと思えたことがある。それは自分が少しだけ「普通」と思えたことだった。

いくらインターとは言えどもやはり多いのはその国の生徒である。しかし彼らの中にもいままで海外でずっと住んできた人、ハーフである人、もしくは私のように外国から来た人などで溢れていた。私はそのとき初めて、自分が周りと違わないと思えた。

そして中3、私はもう一度別のインターに転校することになる。今度は進路のことも踏まえた決断だった。元のインター校は進学実績がとてもでは無いが良いとは言えない。それに対して新しい方は世界トップの大学を毎年出している、所謂進学校ってやつだ。

ただ、教育以外で二つのインター校には大きな違いがあった。

元のインター校が比較的に外国国籍、ハーフ系の生徒が多いのに対し転校先のインターは9割9分がその国の学生。そして生徒数も圧倒的に多い。

つまり私はその学年でほぼ唯一といっていい、「周りと違う」学生だった。その頃にはその国の言葉を人並みには話せていたことがまだしもの救いだったかもしれない。私は出来る限り相手に気を使わせず……いや、単純に目立ちたくないから、英語では無くその国の言葉を使って話すようにしていた。

しかし、その国の言葉をネイティブのように話せるようになってもどこかしら私は居心地の悪さを感じていたことは否めない。いくら言語面で上達しようと、いくら親しい友人ができようと、どこまでも私は外国からきたよそ者。その考えは結局卒業するまで拭いきれなかった。

そして私が唯一居心地の良さを感じれたのは日本人学校の頃の友人と話していたときだった。別に彼らと格段に親しいわけでも無かったし、むしろ親しみだけでいったら高校で出来た友人の方が全然親しいだろう。

それでも私は彼らと話しているときが一番「普通に」話せていたと思う。

その理由は自分でも良く分からない。単に私が一番最初に精通した言語が日本語というのもあるかもしれないし、日本に住んだことの無い私が日本に勝手な理想を抱いているからかもしれない。

どちらにせよ、確かに言えるのは私は自分が周りと違うから「普通じゃない」と思っていたことだ。

今考えてみれば、別に誰かに「お前は違うから」みたいなことを言われたことなんて殆ど無い。結局は自分で決めつけて、それで自分が勝手に意識している、ただの自己責任の問題なのだ。

だから私は時々考えてしまう。

もしもあの時、母親が日本人学校に戻るか聞いてきたときに、私がYESと答えていたら。もしもインター校ではなく日本に帰ることを選んでいたら私は「普通」になれたのだろうか。

分からない。

そうだったかもしれない。あるいは日本に行ったところで結局自分はハーフだから周りと違う、日本人学校に居た頃の延長線になっていただけかもしれない。

どちらにせよ、覆水盆に返らずだ。

そして私は未だに自分が「普通」だとは思えない。

外国に異邦人として住み、母国語以外の言語を日常的に使い、そして周りとは全く違った背景を持つ……いくらでも違いなんて見つけられる。

……しかしだ。

そんなのは誰でも同じなのでは無いだろうか。結局は私が勝手に「自分だけが違う」なんて決めつけ、無意識に「周りの人はみんな一緒」と彼らの個性をないがしろにしているだけでは無いだろうか。

最初にも言った通り、「普通」の定義は人それぞれで異なる。そもそも普通じゃないことをマイナスに捉えていない人だって多くいるはずだ。

普通じゃないーー

だから悩むのでは無く。普通じゃないから喜べる。普通じゃない自分が誇らしく思える。普通じゃない、のでは無く「特別」だと思えた方が、なんだか人生がうまく行っているような気がしないだろうか。

だから私は、普通じゃない。いつまでも自分が普通だと思う日は来ないだろう。でもそれでいい。

自分のことが少しでも好きになれればいい。

普通じゃなくたって。

いつまでも普通に憧れる自分は特別だ。


さいごに

まずは最後までご拝読していただきありがとうございます。

今までこういう系の文章は書いてこなかったので下手な部分もあるかと思いますがどうか多めに見てくださいm(_ _)m

さて、冷静になって読み返してみるとだいぶ恥ずかしいことを書いてありますね。まぁ構わず載せますけど。

最初はなんでこれを書こうと思ったのかよく分かりませんが、思い出してみればいろいろ最近心身ともに疲れることが多かった気がします。気を紛らすためといったらなんですが、それでもちょっとだけ、ほんとにちょっとだけポジティブな考え方になれたかなと思います。

「誰得だよ」って終始思いながら書いていましたが、もしも自分みたいに思っている方がいたら届いてほしいなと思います。果たして下手っぴの書いた文章がどれだけの共感を得られるかは分かりませんが、例え一ミリでも助けになれば幸いです。

それではみなさん、熱い日々が続いておりますが体にお気をつけてお過ごしください。また次の記事でお会いしましょう。では!













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