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巨匠建築家の1960ー70年代回顧展「磯崎新の原点」

建築(磯崎新の原点)(敬称略)+秀巧社ビル勤務体験記(長文失礼します)

北九州市立美術館で開催中の建築家磯崎新の展覧会へ行ってきました。個展の副題が「九州における1960―70年代の仕事」「四島司との交流を中心に」というもので、磯崎の有力なパトロンであった旧福岡相互銀行社長の四島との関係にも触れています。

展示会場は2か所あり、第1会場は3部構成で(写真撮影可)、入口を入ると先ず29歳の時に設計した大分県医師会館と、35歳で設計し建築学会賞を受賞した大分県立大分図書館のバルサ模型が展示されています。さらに同じ大分市内の岩田学園の模型も展示されていました。

次のコーナーへ行くと、中央部に福岡相互銀行の本店の模型があり、各支店の写真も展示されています。大分支店、八幡支店、長住支店、六本松支店、佐賀支店、新宿支店がありましたが、これらの建物が本店を含めて全て「現存せず」との注釈が付いていたのが、何とも悲愴的に感じられる光景でした。

最後のコーナーは、43歳の時に設計した現存する北九州市立中央図書館や市立美術館(この会場)、北九州国際会議場、西日本総合展示場のバルサ模型が展示されており、美術館は空中から撮影した全体写真もありました。また中央部には、マリリン・モンローの曲線をモチーフにした有名なモンローチェアが配置されていましたが、説明文にあるように正面から撮るとマッキントッシュのハイバックチェアに似ていますが(写真)、横に振るとモンローカーブが見えてくる仕掛けになっています。

第2会場へ移るとこちらは写真撮影禁止で、福岡相互銀行本店の役員室インテリアが紹介されており、ここでは画家やグラフィックデザイナーとの協業の作品が展示されています。最後のコーナーは四島コレクションと題して、バンカーでアートコレクターでもあった四島のコレクションの一部が展示されています。現代美術にも造詣が深く、ジャスパー・ジョーンズやデイビッド・ホックニーなど、他にも有名なアーティストの作品が展示してありました。
「パトロンに恵まれた建築家」といわれた磯崎のパトロンの中でも、特に四島が有力者であったのは間違いない事実だと思います。

さらに磯崎が取り組んだのが「建築を版画で遺す」という行為で、作品の写真と図面を、アルミニウムの板に写真プロセスで焼き付ける手法で、建築を絵画のような美術作品として、スクラップ&ビルドの一過性ではない永続性を探求した創作活動ではなかったかと思います。
1976年にこの版画の展示会が、自身が設計した福岡市の秀巧社ビル1階アートギャラリーで開催されています。

実は私が大学卒業後に最初に就職した会社が、この秀巧社ビルの4階にあり、毎日このビルで働いていたのを思い出しました。
このビルも現存していないので、記憶だけを頼りに振り返ってみますと、1階エントランスは半円形でミラーガラスのドアと窓があり、中に入ると正面道路側にエレベーターがあります。1階ホールは高さ確保のための半地下になっていて、そのホール上部を2階会議室に繋がる渡り廊下が中央を貫いています。

3階はオフィスフロアで、私がいた4階もオフィスフロアですが、5階と吹抜けになっており、螺旋階段で上がるとそこが社長室になっていました。
外部は石貼(トラバーチン)と一部カーテンウォールで、3階フロアではカーテンウォール(ガラス)と床の取り合い部分から雨漏れがして、床材の塩ビシートがペラペラに捲れていたのを思い出します。あと残業が多い雑誌編集のハードな職場だったので、夜中仕事中に鉄骨造のビルの鉄骨が縮む「バキッ!」と軋む音を何度も聞いたことがありました。

デザイン重視のアトリエ系事務所の作品は、雨漏りなどのメンテナンスに課題があるという事実は、現在も変わっていないと思いますが、それでも建築作品として評価されて人気があった、それ以上に私も含めてこのビルで働いた人たちに親しまれていたというもう一方の事実も確実に存在した訳です。

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