見出し画像

主題歌「コーリング・ユー」が有名すぎる名作映画「バグダッド・カフェ」

映画(バグダッド・カフェ)

1987年に制作された「バグダッド・カフェ」の4Kレストア版を観てきました。主題歌の「コーリング・ユー」があまりにも有名なこの作品ですが、1989年の日本公開では残念ながら観ることができずに、今回初めて観ました。

冒頭夫婦喧嘩をした女性が、夫が運転する自動車から降りて、カートを引きずりながら砂漠を貫く道路を歩いていきます。40年近く前になる映画ですが、当時のアメリカ社会の縮図のような要素が沢山ありました。アメリカの砂漠地帯に位置する寂れたダイナーとモーテル、さらにガソリンスタンドも兼ねたバグダッド・カフェ(モータリゼーションからの疎外)、そこを家族で運営する黒人家族とヒスパニックの従業員(マイノリティー)、主人公のドイツ人女性(インバウントとさらに移住者)、コンテナカーで長期滞在する初老の男性(社会的弱者としての老人)などなど。

それでも「ヒューマンドラマ」と評されたこの作品では、ラストはどのような落としどころになるのか興味を持って観続けましたが、なるほどの結末だったと感じました。

折しも2025年第2次トランプ政権が発足した今、思わず現代のアメリカと比較してしまいましたが、白人至上主義で多様性を嫌うこの政権は、この時代のアメリカよりもヒューマンな未来は展望もできそうにありません。

国内の分断は激しさを増し、この映画のような協調性などとても展望できる現状ではないのが現実です。とにかく独裁者は4年間しか君臨できないので、4年間を一時的なガス抜きと割り切れば、また180度違う良識ある政策が実施される可能性も残っています。

話が映画から大分脱線してしまいましたが、この映画では多民族国家であるがゆえのアメリカの葛藤とそれらの障害を乗り越えて、前向きに生きる市井の人々の暮らしを、生き生きと描いていました。そうしたポジティブな登場人物たちが、それぞれのキャラクターで輝いていたように思います。

ラストは女性主人公の未来が垣間見えそうなシーンでしたが、そこには国籍や人種を超えて共に生きる古き良きアメリカが確かに存在していたと感じました。

よくある観賞後の判断を観賞者に委ねるような、フェイドアウトして終わるパターンの映画がありますが、この作品は序盤の静(荒涼とした砂漠)から終盤の動(ダイナーでのショータイム)へと徐々に変貌していくメリハリのあるストーリー展開だったと思います。
(写真は公式サイトより引用しました。)

いいなと思ったら応援しよう!