2024年下期の芥川賞受賞2作品を読んで
本(サンショウウオの四十九日)(2作品受賞なので、長文失礼します)
今年下期の芥川賞受賞作品です。受賞作は文藝春秋を買ってきて毎回読んでいますが、今回は読む前から様々なメディアに取り上げられ、特に結合性双生児をテーマにした作品ということで、ひときわ話題になっていたと思います。
結合性双生児といえば、個人的な記憶ではベトナム戦争での枯葉剤の影響で生まれた男性の双子を思い出してしまいましたが、どういうふうに結合性双生児を描くのが読む前から想像できないものでした。
作者の朝比奈秋さんは現役の消化器内科の医師であり、その職業観からこうした身体的テーマを選んだのは、ある意味必然的なものであったのかもしれません。
冒頭ではその身体的特徴は描写されておらず、どのように描くのかとページを捲っていくと、その特徴は1つの身体に右半分と左半分に姉妹がそれぞれ存在しているとの説明があります。腰から上や首から上が2つの分かれているのではなく、顔も両方がズレながらも結合している訳です。
こうして身体は結合していながらも、それぞれの感情は当然違いますし意識は個々に存在しています。受賞インタビューで筆者は哲学や宗教学に興味があり、医学部もその探求ができるのではと志望したとのことですが、当然のことながら医学部は科学を探求する場であり、これは違うと感じたと本人も述べています。
身体と意識の差異。意識は脳や臓器から独立したものであり、肉体は死んで滅びても意識は生きる、これがこの作品のテーマであると感じました。1つの身体に中にある2つの意識、そして身体が無くなったあとも生き続ける意識とは?
この問いと、それに対する答えにまで行きつかない問答、2人の姉妹の想いがそれぞれに何回も繰り返し描写されています。勿論純文学であれば、必ずしも結論を導き出す必要はありませんし、フェードアウトの着地というか結末もアリだと思います。
おそらく作者自身が抱いている感情をそのまま文章化したと推測しますが、ただ個人的には最後までこのテーマに対するまとまりがなかったように感じてしまいました。
問題提起をする上でも、結末にはある程度の着地姿勢が必要となります。それは前々回の受賞作「ハンチバック」や前回受賞作の「東京都同情塔」の結末に、それぞれ独自の着地スタイルがあったのと比較すると、わかりやすいと思います。
ただ選評の最後に川上未映子さんが述べていたように、今回の候補作の中では、そのテーマ性から頭一つ抜きんでていたというのが、選考委員も含めた大方の意見ではなかったかと思います。
本(バリ山行)
今年下期の芥川賞受賞作で、「サンショウウオの四十九日」との同時受賞となった作品です。タイトルバリ山行(さんこう)のバリとは、バリエーションルートのことで、正規の登山道ではない独自のルートを探し出して登山をするものです。
前職をリストラされて建築関連会社に転職した主人公が、会社の同僚に導かれるようにバリ山行の魅力に目覚めるもので、筆者自身が勤務する建築関連会社の実状をオーバーラップしながら、山と会社、自然と社会の対比を描いています。文章も読みやすく、読んだ文藝春秋では100ページ弱ありましたが、一気に読み通すことができました。
バリ山行を指南する同僚への憧憬や尊敬、逆に反発など様々な感情が交錯しながら、物語は終盤を迎えます。読み終えた後ふと考えてしまったのは、この小説が同時ではなく単独で芥川賞を受賞できたかという、読了後の素朴な疑問でした。
それで過去の芥川賞受賞作品で思い出したのが、上田岳弘さんの「ニムロッド」と同時に受賞した町屋良平さんの「1R1分34秒」で、この作品はタイトル通りにボクシングがテーマの小説でした。今回の「バリ山行」が山で「1R1分34秒」はボクシングがテーマの、いわば一芸小説ともいえる作品が単独で受賞できるのか。
思わず下世話なことを考えてしまいましたが、さらに深堀すると「ニムロッド」は仮想通貨などが登場するITを小説化した受賞作の新たな局面を切り開いた作品であり、今回の「サンショウウオの四十九日」も結合性双生児をテーマにした、これも新たな局面を開拓した作品であると言えます。
そのように考えると、そうした先端の小説とバランスを取るために1つのテーマ(それも明快な肉体的なもの)に限定した分かりやすい作品を同時受賞作に選んだのではないかと、下衆の勘繰りにも似た感想を抱いてしまいました。
私は文藝春秋の関係者でもなければ、ましてや選考委員でもありえない訳で、純粋な一読者として素朴ながらワードショー的な観点も持ち合わせた感想を持ってしまいました。
話を作品に戻せば、私も長年建築関係の仕事に就いているので、作中の描写には納得したり、同感したりする箇所が何カ所もありました。ただ私の場合は設計が主な業務なので、現場はさほど詳しくはありませんが、バリ山行の同僚が営業職ながらも防水の達人であるという設定は、作者のこの登場人物に対する熱量が伝わってくるようでした。