ブレイクダンスダイナマイト 点火!
前々回トシちゃんについて熱く語ったので、慎吾ちゃんについても深く検証します。
慎吾ちゃんとは、風見慎吾。私にとって、慎吾はひらがなではないのです。ここは80年代を語る場所。平成終了を機にブームとなった昭和回帰の波を漂っております。
とにかくもう度肝を抜かれたわけです、日本国民は。1984年の末。なぜ、そんなに衝撃だったかというと、
① カクカクしたり波打ったり浮いたり、あんな動きを初めて見た。
② あんなにバリバリに踊りまくって歌う人を初めて見た。
③ それをしたのが、慎吾ちゃんだった。
と、トリプルパンチだったわけです。
“それをやってのけたのが、自分” ロッテ 1984
①から検証。俗に言うブレイクダンスなるものを、昭和の人々は彼のパフォーマンスで初めて目にしたわけです。「えー! 何じゃ?こりゃ」と、お茶の間は仰天、テレビにくぎ付け。
歌って踊って異常人気 magazine h 1985
日本でブレイクダンスが知られたきっかけとして、なんか映画があったとか、なんか横文字が来日して披露したとか、ディスコやホコ天で踊っていた人がいたとか、そんなの一般ピーポーは知らないよって。映画やディスコといった娯楽文化を持たない年代や地域なんていくらでもあるのだ。というか、日本のほとんどがそう。白球を追う部活少年やピアノを習うお嬢様、田舎のハナタレ小僧やとなりのミヨちゃんがそんな洋物知るわけもなく。一部のサブカルリーダー、あるいはトレンド嗅覚イキり男子を除き、日々ぼーっと生きてるほとんど全ての日本国民は、テレビで歌う慎吾ちゃんにより初めてあのような踊りを見たわけです。
② それまでは皆、ジャニーズが踊るようなごきげんな振り付けしか見たことなかったのです。それこそトシちゃんが持ち歌の世界を素敵に演出するような。そこに、慎吾ちゃんが湧き出る思いのまま飛んだり跳ねたり回ったり滑ったりと、正にバリバリに踊るという表現がぴったりなパフォーマンスをぶつけてきたわけです。
慎吾くんの姿にはみんなアゼン! shueisha 1985
人々は慎吾ちゃんの踊りで初めて「オトコのダンス」を見た気がしたのです。女の子をうっとりさせるのではなく、男の子が憧れて真似してみたくなるような。
③ 世のほとんどの人は、慎吾ちゃんを欽ちゃん番組の企画物ソング『僕笑っちゃいます』1983 を素人臭く一生懸命歌う、おもしろくて可愛いだけの男の子だと思っていたのです。
私にとっては次曲の「泣いちっちー、まぁーいはぁ~♡ ぽろろ~ん ♪」の方が思い出深いです。ホント、爽やかで可愛かった。
ただの可愛らしいアイドル kadokawa 1984
その後しばらく歌番組で見かけなかったのだけど、突然「誰だろ? この人」ってぐらい見た目も全く変わって登場して、いきなりあのダンス。「えぇ!こんな(能力を持った)人だったの!?」と。元々路上パフォーマーだったとかいちいち知らないし。同一人物とは思えない変貌ぶりだったのです。
以上が、私および当時ぼーっと生きてて叱られそうなほとんど全ての日本国民が覚えた衝撃であります。ほとんど全ての日本国民って表現、あながち大げさではなかったりして。単一番組を家族で見るような時代でテレビの影響力は絶大。慎吾ちゃんは元々、某有名アイドル誌の1983年人気投票でトシマッチシブがき隊に続き4位になるぐらいの知名度。さらに最盛期の欽ちゃんの番組やベストテン等の高視聴率番組でブレイクダンスが披露されることでくまなく世間で認知され、若者や子供たちの間で爆発的に広まったのです。ジャスタダイナマーイ、ヨダイナマーイ、イエー!
ちなみに5位はたのきんのヨッちゃん。なので、慎吾ちゃんはジャニーズ陣営に堂々と割って入っていた非ジャニの筆頭だったわけです。
たったひとりで練習 shueisha 1985
ブレイクダンスを踊るから有名になったわけではなく、人気アイドルが勇気を出してチャレンジして賭けに勝ったからこそインパクトがあったのです。これぞ正に take a chance!
長くなったので、次の「共通一次とブレイクダンス」につづく⇒