脱線しつつもメジャーシーンダンス起源について昭和少女の想いをいろいろと書いてきました。とにかく日本のダンスエンターテイメントにおいては、東の田原俊彦、西の風見慎吾です。たまたま出身が甲府と広島。首都圏と地方。
1985年夏 コンサート(下にレビュー) magazine h 1985
どっちが上手いとか何が先とかそういうのではなく、芸能史で重要な役割を果たしたということ。
体系立てるとすれば、
田原 振り付けを上手く素敵に踊っていた (歌>踊り)
↓
風見 ダンスを激しく踊る (歌<踊り) → その後、歌手活動を終了
[ダンスエンタメ革命]
↓
田原 ダンスを歌とともに上手く素敵に踊りだす (歌✕踊り)
[ダンスエンタメ頂点]
【追記】上記体系図の解説はコチラ 要素整理はコチラ
何が素晴らしいかというと、ダンスでもって人々に質の良いトキメキを与えたということです。
昭和の最末期ごろから流行り始めた「オレらが楽しんでる様子を見てオマエらも楽しめ」「アタシたちがキャピってるのを見て喜んでよ」みたいなのじゃなくて、自己研鑽により会得したスキルをもってして視聴者、観客、ファンを楽しませようとした真の「芸」「能」だったと思うのです。
一言で言えば「プロのエンターテイナー」。単純に。
(あとちょっと歌が上手かったら、さらに歴史は違っていたかも)
そしてなにより重要なのは、グループのワンオブゼムじゃなくて、ソロだということなんです。本来それがスター。
ここ20年くらいわちゃわちゃと大人数だから、何というか…。群舞の力とか数の強さもあるだろうけど、ピカッと光る大粒ダイヤを見てこそ満たされる魂ってあると思う。彼らはトップアイドルとしてそういうのを見せてくれて本当にありがたい存在だったんですね。そのときはソロが当たり前だし特に何も思ってなかったけど、30年経って時代を超えたら見えてきた。
でも、ふたりとも、事務所や独立絡みできっと苦労したと思うんです……。そのまま大きな事務所にいたら楽だったでしょうけど、自分の脚で立ちたかったんでしょうね。オトコだから。
トシちゃんはスターでい続けることを選び、慎吾ちゃんはテレビに出続けることを選んだ。
昭和には身ひとつで戦っていたホンモノの戦士がいたよ!
1985年夏 コンサートツアー Oricon 1985
☆彡
当時のコンサート評より Oricon 1985
【追加】shueisha 1985
1985年7月22日、キョンキョンはこのふたつのコンサートをはしごして観に行きました。ファンとして好きな人と女の子として好きな人。