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昭和のムーンウォーク アイドル

先々月の記事で書いたムーンウォークについて、改めて下に貼り付けます。

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■ ムーンウォーク (レコードリリース年月)
田原/ 『シャワーな気分』  1983年5月   (田原が1年半ほど先)
風見/ 『涙のtake a chance』 1984年12月
 
※しかしながら、田原のそれは、浮遊感的に印象はいまひとつで、「一般へのインパクト(衝撃)」は風見によると思います。
(1983年7月7日のザ・ベストテンで、田原が初出場の風見のいる前でそんなムーンウォークをしていますが、新人風見はどういう気持ちでそれを見ていたのか気になるところです。)

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TBS 1983

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そう、トシちゃんによる曲の間奏でのムーンウォーク披露。そのチャレンジ精神を賞賛します。

だけど…うーん、「後ろに引っ張られながら浮いているようになめらかにすべる」感があまりなくて、不思議感がない印象。ストライドが狭いからかな?まだ発展途上のようですね。

レッツゴーヤングでのステージ NHK 1983

トシちゃんだって、例えば「懐かし映像」とかで、ムーンウォークの視点で『シャワーな気分』を見られたくないと思います。完成度に自信や納得、誇りを感じていないようだったから。

彼の実力と魅力は単発の技ではなく、総合的な面にあります。

一方、慎吾ちゃんのテイカチャンでのムーンウォーク、初披露のころでも見るからに「おっ!」て感じ。歌いながらだし。歌い慣れてくるころには、もう地上で無重力状態で、見てて「おぉー!」って感じ。フワッフワのスルッスル。浮遊感とキレが凄い。多くの視聴者を引き付け、当時の子供たちが慎吾ちゃんを真似て廊下でムーンウォークしていたというのはよく聞く話。

四半世紀後、今田耕司氏が絶賛した映像 TV TOKYO  1985

■歌番組での披露
田原/ 1983年7月 夜のヒットスタジオで、司会の井上順に「新しいステップを考えたんだって? 皆さんに披露して」と促されて小さく3歩だけ見せて、「こういう感じでね…」と照れながら自信なさげ。吉村真理に「あーそうなの、かっこいいわよ」と適当にスルーされる。同年9月 ザ・ベストテンでの『さらば…夏』の歌唱前、ファンからのリクエストで司会者に促され披露。年末特番でそのVTRを見て「ダメだなぁ」とつぶやき、出来に納得してないご様子。
風見/ 1985年1月 ザ・ベストテンで、黒柳徹子に促されてムーンウォークを披露。1本目なめらかに5歩やったが久米宏がじゃまだったので「もう一度」と言われ、2本目は後ろに直進のあと180度、90度回転付きを披露。久米宏に「うまいもんですねぇ」とうなられる。歌唱中もしっかりと披露。

もし夏の『シャワーな気分』でムーンウォークが話題になったり世間に浸透していたら、秋の次曲『さらば…夏』の歌唱前にわざわざ改めてやってみせたりしないでしょう。

トシちゃんの方が1年半も早いのに慎吾ちゃんとのムーンウォーク論争が出るのは、大衆にとって慎吾ちゃんの印象が強かったからだと思います。

再整理すると、日本でムーンウォークを…
         ・早期に披露したのは、トシちゃん (初トライ)
         ・普及浸透させたのは、慎吾ちゃん (初マスター)

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shueisha  1984                                            shueisha  1984

トシちゃんのダンスは、ひとつひとつの技よりも「総合芸術」のようなものだから、何かが早かったとか広めたとかと違う位置づけだと思います。トータルで人を魅了するパフォーマンス。例えるなら、長く継続して愛され拍手で賞賛されるミュージカル作品のような。一方、ブレイクダンス、今でいうストリート系は技術の集大成を己の器の上で披露するダンス。観る人の歓声で評価されるような。

お、そういえば、パリ五輪ではブレイクダンスが競技になるんだっけ? 1985年当時、ザ・ベストテンでやっていた野球でブレイクダンス、あれをやってみたらどうでしょう。

と言っても、これ誰が真似できるんだろう。