そこまでヘタじゃないよね、慎吾ちゃん
かなり以前、「そこまでヘタじゃないよね、トシちゃん」という記事を書きました。何がって、まぁお分かりかと思います。
トシちゃんは、歌手になりたいというよりスターになりたかったわけで、歌は手段。でも肩書は当然歌手だからそのためのレッスンを受け、努力もしたと思います。実際、かなりのレベルまで到達しました。
一方、慎吾ちゃん。たまたまテレビに出ることになり、お笑い番組でコントをやっていたら突然番組のために歌わされることになり、そのため歌のレッスンに通い始めたら欽ちゃんに「上手く歌おうとするな」とやめさせられ、歌手になる気なんてまるっきりなかったのにレコードを出すことに。
トシちゃんも慎吾ちゃんも喉が弱いタイプで声域が狭く乾いた声。歌唱力がないのは自覚があったと思う。トシちゃんは方々でさんざん揶揄されていたし、慎吾ちゃんも「恥ずかしくてたまらない」って。
だからふたりともトータルパフォーマンスの質を上げようと、歌のマイナスポイントを補って余りあるほどにダンスを磨いた。
だけど慎吾ちゃんの場合、あれほど激しい動きだと息継ぎさえカツカツで、歌に全神経を注げない。
音程はあきらめてたけど 「歌」を捨ててたわけじゃない
「歌」を捨てたなんて言ってない
踊っているときは「正直、音程の方は捨てていた」んでしょうけど、歌を大切に大切に思いながらリズムとメロディーに乗り、独りきりで歌い切った。
一方グループ、例えば少年隊だったら「迷いこんだイリュージョン♪」ってニッキが歌っている間、他の二人は息継ぎできる。ヒガシの不安定さもユニゾンでごまかせる。視聴者が聞いているのは斉唱。
ソロとグループの一員じゃ負担が全然違う。ヒガシが著書で「やはり三人だと心強い。緊張も三分の一になる」と言うように。元シブがき隊の本木雅弘氏が当時を「ファンから受ける愛はその三分の一」と言うように。ソロだと会場に響き渡るのは終始自分だけの声。視聴者や観衆の視線を一身に浴びる。バックダンサーがいたとしても大衆が見るのはスター。緊張は倍増。
以前、例外的にニッキを取り上げたけど、本来は比較の対象にならない。「唯一の主役」かどうかで、置かれている立場が全く違う。
慎吾ちゃんは、周りにハイハイと従ってさえいれば、4曲目は番組の計画通り穏やかな曲になって少ない負担で女の子にキャーキャー言われることもできたのに、新たなジャンルの導入を自ら大人たちに提案した。指導者もいないのにダンスを習得し振り付けも考えた。曲もプロデュースした。それにより、女の子だけではなくアイドルやダンスに興味のなかった男子たちの注目をも引き付けた。
歌うつもりもアイドルになるつもりも、そもそも芸能人になるつもりさえなく、歌唱面でのマイナスポイントからのスタートだったのに、やるからにはと腹を括って未開の領域に挑戦し、ムーブメントを起こし日本にブレイクダンスを広めた。それは彼の覚悟によるもの。
番組の企画モノから始まった歌手活動だったのに、あそこまでやってのけたのは凄い力量だと思います。
全ての視線を身に受け勝負に出た。彼以降、ほとんどいないソロアイドル。
慎吾ちゃんの歌声、大好きです。若々しくて優しい気持ちになれるから。