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どっちも! 慎吾ちゃんと晃司クン
「ウチの親父、ついこないだも、吉川晃司クンのお父さんとゴルフに行ったらしいんだ。“同じ広島出身の、ビッグスターの親同士じゃけん、ぜひ会っとかんにゃの!” とか、なんとかいっちゃってさ。」
風見慎吾 shueisha 1984
ダンス系男性ソロアイドルについて語るべく、「トシちゃんと慎吾ちゃん」でスタートしたこのシリーズ。ただ前々回、吉川晃司クン賞賛記事をうっとり…じゃなくて、うっかり書いてしまったので、このたび、広島つながりということで「慎吾ちゃんと晃司クン」の括りでいきたいと思います。
「いっしょにDISCO行って朝まで騒いだ仲さ。ボクは吉川クンにブレイクダンスのワザを教えてあげたし、彼は彼でボクに、ハデじゃなくてもリズム感さえあれば踊りってカッコいーんだってこと、見せつけてくれた。」
風見慎吾 shueisha 1985
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/51215698/picture_pc_d5b58b22264ccad815ed34bf97cb6396.png?width=1200)
ふたりの出身校が広島の名門中高一貫ライバル男子校ということで、80年代から地元では「GI校の風見 vs SD校の吉川」とやたら「GI vs SD」と言われていたそうですが、この二人においては不毛な議論。だって、彼らは仲良しだったもん!(今は知らんけど) 飲み友達で、ディスコ友達で、ニューヨーク通友達だったんだヨ。
「ま、彼の場合DISCOでも頭ひとつまわりからぬけ出るくらい背が高い。負けずにめだつにゃ大ワザっきゃないわけで、ひたすら運動量で勝負しちまったい。」 風見慎吾 shueisha 1985
とりあえず、基礎情報の比較をしてみます。
■ 誕生年
風見/ 1962年10月(慎吾ちゃんが3つ上)
吉川/ 1965年8月
■ 広島時代
風見/ 中・高とも部活せず。体操部員でもないのに大会に引っぱり出され、床で好成績を収める。高校の夏休みに少林寺拳法を習い、茶帯。身体能力が高いのにカナヅチで、お父さんに沖でポンポン船から放り投げられ溺れる。
吉川/ 水球で史上最年少U-20日本代表。全日本高校最優秀選手。オリンピック選手候補だったのは有名。少林寺拳法もやっていました。バンド活動でも500人ぐらい動員できるほどの人気で、地元では既にかなりの有名人。
「慎吾ちゃんのGI校はサ、頭いい学校で。俺のSD校は坊ちゃんぽいの。」「でも晃司の学校のほうが女の子にモテるんだよね。」
吉川晃司 風見慎吾 「俺たち広島ンときからライバル」 shueisha 1986
■ 歌手デビュー前
![慎吾晃司デビュー前より近い](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/51193464/picture_pc_02d047999a00d93e8baeffb314b980e2.jpg?width=1200)
■ 歌手デビュー
![慎吾晃司2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/51193524/picture_pc_ebdae94ad1633daeb13666d849eb79c3.jpg?width=1200)
■ デビュー実績
風見/ 1983年新人で断トツの人気。ひょうきんなキャラと可愛らしさで幅広い世代で大人気。デビュー曲『僕笑っちゃいます』が年間ベストテン17位。ジャニーズのTNKトリオの最後の一人N村(Yっちゃん)もこの年にレコードデビューしていたが、人気も売り上げも完全に彼を凌いでいた。だが、賞レースを自ら辞退。唯一、日本有線大賞には出て最優秀新人賞受賞。
吉川/ 1984年新人で断トツの人気。長身と肩幅、シャープな面立ちで若い女性に大人気。デビュー曲『モニカ』が年間ベストテン13位。この年リリースした他の2曲も50位以内。人気も売り上げも他のどの新人よりも確実に上回っていたが、魔訶不思議なことにレコード大賞の最優秀新人賞は取れず。日本有線大賞では、風見と同様に最優秀新人賞受賞。
1985年の年明けにはなぜか偶然「chance かぶり」で仲良くベストテンにランクイン。
![図1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65222899/picture_pc_4a5e683b3a62ecc04e847134ad3e6fa6.jpg?width=1200)
ふたりともアイドルを目指して芸能界入りしたわけではなかったのに、ジャニーズを脅かすほどの人気を得た貴重なソロアイドルとなりました。
身体能力でもふたりは双璧。曲始めに旋風脚、曲中に慎吾ちゃんはバク宙側宙、晃司クンは片手バク転をかまします。
このころ広島ではふたりの影響でバク転が流行し、今のアラフィフ男性の多くはバク転ができる(できた)そう。本当かどうか、マニアック深夜番組あたりで検証してほしい。
現在、晃司クンが俳優業などで若い人からの認知もあり大物感を漂わせていますが、当時は慎吾ちゃんを先輩としてリスペクトしていたのです。以下、広島ライバル対談。
晃司「慎吾ちゃん、頭の回転早いなぁって思う。あと、すごくいいナァって感じるのが、踊り!」 慎吾「オレ踊り、自己流でしょ。晃司も自己流でしょ?」 晃司「オレのは、踊りじゃねーよ」 慎吾「あれだけやりゃスバラシイよ」 shueisha 1986
![慎吾晃司たて](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/51392131/picture_pc_07dbd2943be02a35ef9b6aa8dd77a998.jpg?width=1200)
慎吾ちゃんも晃司クンをカッコイイ、サマになる、自分が女だったらホレると言い、お互い褒め合いまくり。
![画像8](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65222151/picture_pc_b7abc727bb6721c7c9f0d79588e167e2.png?width=1200)
当時、晃司クンは男の子たちに真似されるファッションリーダーでしたが、実はセンスに自信がなかったらしい。慎吾ちゃんといえば「BOY LONDON」ですが、「HYSTERIC GLAMOUR」のデビュー年に早々に衣装に取り入れたりデザイナーをファッション雑誌で紹介したりと、かなり先端的オシャレ。
![画像9](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65344180/picture_pc_7d48267fc26cc5093f0325e81924947c.png)
1985年にリリースしたアルバムのポーズもなぜか似ている。二人とも1987年の同時期に同じ東宝系でそれぞれ映画の主演をして、とっても苦労したのも同じ。アイドル時代の後、早々に大手事務所から独立しているのも共通。
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56946107/picture_pc_ab25b7bf402992b5be55166060272c68.png?width=1200)
晃司クンは長きに渡り音楽活動をしますが、慎吾ちゃんはほんの数年。ただ慎吾ちゃんには、時代を反映して今も歌い継がれる『僕笑っちゃいます』、そして大ブームを起こしファン以外にも知られる『涙のtake a chance』と、社会的ヒットが2曲もあります。特にブレイクダンスは衝撃的で、エンタメ界やダンス界において新しいジャンルを切り拓くことになり、後年まで大きく影響を及ぼしました。
だから「GI vs SD」なんて不毛な張り合い。二人とも唯一無二の存在。どっちも凄いのです!
ワシらは広島の男じゃけぇ
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56868610/picture_pc_a9f6976a16ab2ce1e2d73450c320bc7b.png?width=1200)
1985年夏 コンサートツアー magazine h 1985
なんど打ちのめされても起き上がり、明日に向かって歩き出す
那須正幹 『ヒロシマ めぐりくる夏』 あとがきより ポプラ社 2011年
ただ、「ダンスレジェンド」と「ロックスター」なら、レジェンドは現役感がないので、慎吾ちゃんにはここでひとつ数十年ぶりにウインドミルなどかましていただき、シンバルキックに対抗してほしいものです。
☆彡
そういえば…、慎吾ちゃんはアイドル時代、某不思議系女優のファンなのを公言していて「お近づきになりたい」とはしゃいでいたのに、その女優さんは数年後にコージクンと… ♡ になっちゃうのよね。慎吾ちゃん残念! あー、今さら昔の余計なこと思いついてゴメンナサイ。
【追記】
■ 広島時代 (ファースト chu)
風見/ 高2の夏、桃井かおり似の年上の人と映画を観に行った帰り、平和公園で別れ際に突然された。「あれはいったいなんだったんだ…」
吉川/ 高1、夕方に比治山の川べりを「どうしようかのう」と思いながら一緒に延々歩いた後に。超キンチョーで何がなんだかよくわからなかった。