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誰からも踊れなんて言われてない
「毎晩部屋でビデオ見て踊りの研究をしてるんです。」 風見慎吾
shueisha 1984
慎吾ちゃんのダンスは自己開発。大好きなマイケル・ジャクソンの踊りを見て日々研究していました。ブレイクダンスも、ビデオの入手元はニューヨークだけど、マスターしたのは映像を繰り返し見ての独学。疲れて帰ってきた自分の部屋で、たった独りビデオを見ながらダンスの練習をしていました。
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彼のダンスの会得は、留学せずに英語をマスターするのに似ていると思うのです。文法と単語を地道にやり、カセットテープを繰り返し聞いて発音や会話の練習をする。セオリーとプラクティスを掛け合わせながら練習を積み重ねる。孤独な作業をひたすら行う。資金的に余裕がないから習える機会を大事にする。しっかり見て聞いて、お金をかけずにモノにしていく。
「あのブレイクダンスにしても、職のない黒人が生活の糧を得るため必死に創り出したもんですからね。生活かけてやってるから、あれだけすごいものが生まれるんだと思うんですよ。」
新鮮なものとは生活をかけた必死の中から生まれるんだと慎吾は強調する。
Kindaieiga 1984
練習する時間や場所がなくても、工夫を凝らしてなんとか打開しようとしていました。
「空いているテレビ局の部屋を借りたり、終了時間をすぎたディスコでフリの練習」「スタジオがとれない時は “自分がおごるから” ってバックダンサーをディスコに連れて行って」 風見慎吾 BP New Year 1985
☆彡
「僕らはすごく恵まれてたというかね、常にニューヨークに連れて行ってもらったりロスに連れて行ってもらったり、ロンドン行ったりとか、いろんなことをやらせてもらって」 錦織一清 「SMAP×SMAP」CX 2013年5月6日
80年代のジャニーズ、特にトシちゃんと少年隊は、ダンスレッスンの受講やエンターテイメントの見聞拡大のために頻繁にアメリカに連れて行ってもらっていました。しかしながら、トシちゃんは「外国に行くのは実はそんなに好きじゃない」、カッちゃんは「早く日本に帰りたい」、ニッキも「また海外に行かせるんですか」と言っていて。何もかも周囲からの先回りで与えられてしまうと、機会を最大限に活かそうとする渇望心がなくなってしまうのかも。
「マイケル・ピータースという先生、(アメリカでは)その方にいつも振り付けとかレッスンとかしていただく。」 錦織一清 「おしゃれ」 NTV 1985年12月
少年隊は百数十万円も払ってマイケル・ジャクソンの振付家の指導を受けたりと、常に一流のダンス講師たちに囲まれていました。グラミー賞授賞式に招待してもらったり英会話レッスンを受けさせてもらったり。
「会社の総力をあげてセールスに取り組む」 少年隊を売りだすためにプロジェクトチームを作ったのは、ニューヨークを本拠地とする有力なレコード会社、WEA のアーティガン会長。 shueisha 1985, kobe np 1986
しかしながら最大の目標であった全米デビューを果たすことはありませんでした。
ニッキは事務所退所の挨拶で「恵まれ過ぎていた環境」と言っていました。
☆彡
「ダメもとで、世界一の大会に1回だけ挑戦しよう」 TAKAHIRO/上野隆博
from UR PRESS vol.64 2021年
慎吾ちゃんと同様、TAKAHIRO(上野隆博)さんも進学校出身で少年時代にダンスをしたことはなかったそう。だけど、TAKAHIROさん曰く「そういう時間があってよかった。ラジオを聞いたり漫画を読んだり、それが今の創造力に繋がっている」。慎吾ちゃんも映画と洋楽が大好きで若者文化に敏感、創造を促す感性が培われていました。
慎吾ちゃんには元々ダンス路線で売り出される方針は全くなく自身で展開、ニューヨークへ行くのも独り。TAKAHIROさんは仲間がどんどんダンスをやめていく中で独りアメリカに挑んだ。環境に恵まれなくても孤独でも、志があれば未知の世界に突き進み大きな花を咲かせることができる。それを長い時間をかけて証明してくれました。
「ボクの新曲、ほんとはバラードに決まりかけてた。ボクははじめて大将にさからった。“やりたいことがあるんです。やらせてください” って。」
風見慎吾 shueisha 1985
誰からも踊れなんて言われてない。やりたかったからやった。マスターしたかったからマスターした。
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「何かひとつだけでいいから、これならできるっていうモノが自分にほしかった。」 風見慎吾 shueisha 1985