歌謡界の転換期 1985 久米さんと聖子ちゃん
前回の記事で1984年について熱く語りましたが、その後に知ったところによると、今から3年前に1984年の歌謡曲についての本が出版されていたとか。やはりこの年はそれほどエポックメイキングだったってことなのでしょう。
私は、本当にたまたま、1984年に限ってやたら詳しいというか親しみを感じるのです。ちょうどその年にテレビエンタメにどっぷり浸かれた、というか俗に言う中二病。クラスの誰よりも早く新曲情報をゲットしてる自分でいたく、歌本目当てに「明星」「平凡」を買ったりラジオ放送に張り付いたり。
オリコンやベストテンの記録サイトを振り返って見ても、常連アイドル、新勢力、バンド系、スマッシュヒットなど、もうキラ星のごとく。トップ100まで余裕で口ずさめそうなおなじみ度と充実度。出演者が夢と憧れを与えてくれて毎日がキラキラしていた、あの時代の勢いを感じます。是非、具体的な曲名や歌手名を関連サイト等でご参照ください。とにかく、もう、賑やかだったのです。明るかったのです。時代が。
しかし! 翌年の1985年にこそ、本格的な転換期を迎えます。まず、「ザ・ベストテン」の司会、久米宏が降板することになったこと。それを知った時心底がっかりしたのを覚えています。これにより、時代の象徴だった当番組の質が変わったと思います。そして、松田聖子の結婚による歌手活動休止。それと入れ替わるようにおニャン子クラブ勢の波が押し寄せてきた時、私の歌番組及び芸能界への関心は引き潮となりました。松田聖子、河合奈保子といったダイヤモンドのような80年組、中森明菜、小泉今日子、早見優、石川秀美、堀ちえみといったルビー、サファイヤ、エメラルドの82年組を小学生で見た身としては、イミテーションのアクセサリーを大量に押し付けられた感じがしたのものです。
その後90年代に向かってアイドルという存在の魅力が低下し、歌番組の力が弱まって行ったのは、そういった質の低下が関係していたかもしれません。人々は歌唱力や音楽性を求め、媒体もレコードからCDに代わり、テレビに出ないミュージシャンやバンドがコンサートやCDで人々の音楽への欲求を満たしていったのでしょう。
こう見ると、聖子ちゃんの第一活動期の5年間が歌番組的には一番充実していたように感じます。70年代後半もいい曲いっぱいあって勢いがあったように思うのですが、知識と記憶の不足で検証できなく残念。
夢のような80年代前半の主役は聖子ちゃんとトシちゃんだと私は思っているのですが、この時代に対してまた何かしら思うことがあれば引き続きつらつらと書き記そうと思います。