最々初期ブレイクダンスのファッション
慎吾ちゃんによるブレイクダンス本格披露は1984年全国コンサートツアー。「ヒップホップで過激にキメます!」と、ロス五輪に沸く真夏に体当たり。 36年前ですが、そのころもちゃんと「ブレイキング」って言ってましたよ。(沢田研二だって「ダーリン」じゃないのよ、『ダーリング』1978)
角刈りする前のアイドルヘア magazine h 1984
以前、最初期ブレイクダンスのファッションとして『涙のtake a chance』の衣装について書きましたが、それより半年前ということで、最々初期としてどんな出で立ちだったかコンサートパンフを見てみましょう。
1984年夏 ブレイクダンスツアー
ステージ上でこれ ↑ と全く同じ格好だったかどうかは不明ですが、沖縄会場の野外ステージでもだいたいこんな感じでした。なお、幕開けのハービー・ハンコックの『Rockit』では当然スーツ姿。
お盆のステージはテレビで生放送されたから、どこかに映像残ってないでしょうか。炎天下のビーチイベントでブレイキング。背中が焼けてしまう…
ところで『僕笑っちゃいます』から 1年、同コンサートでデビッド・ボウイを歌っているのですが、こうなりました。
1983年夏 1984年夏
なんだかニューヨークだったりロンドンだったり若気の至りの詰め込み感。この世界観というかカオスっぷりが本当に素晴らしいのだが、カワユイ慎吾ちゃんに会いたかった昭和の観客はついて行けたのだろうか…。
振り返って思うに、慎吾ちゃんは第二のジュリー、「歌の代わりにダンスが上手いジュリー」路線で行ったらおもしろかったかも。一度アイドルになってしまうといつかはそれが終わるのだから、どうせならあえてジュリーのように「前衛をやり尽くす」という方向もアリだったかと、令和にして思う。
『BEAT ON PANIC』1985 の後、その突き抜けっぷりを中和させるかの如く、唐突に青春ナンバー『泣き虫 “チャチャ”の物語』だったものね。慎吾ちゃんも「佐野元春風からサビでいきなりアイドルになる、ヘンな僕にふさわしいヘンな曲」と、微妙な気持ちを示していました。
たぶん本当はそのまま突き進みたかったんでしょうね。