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風の中に旗をぶっ立ててみたい 独立するということ
ひとつの季節だけには とまっていられない 風をみつけた男は 夢を追いかけてく 『ごめんよ 涙』 1989 作詞 松井五郎
今、芸能界がかつてないほど揺れています。今までの構造が覆されるほどの勢いで。
トシちゃんの独立については過去に何度か書いてきました。巣から独り飛び立とうと決めた若き日の彼を、今改めて清々しく見つめることができます。
「いつまでもジャニーズに寄りかかっていちゃいけないという思いもあって、独立を決断した。」
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「何だってできるはずだよ。1度きりの人生だもん、自分で絵を描かないと。」 田原俊彦「 還暦直前インタビュー」 Bunshun Online 2020/12/13
与えられた環境の中で仕事をこなしているときにふと、そこから脱し自分を一段高めたい、そう思う日が人には必ず訪れます。そのとき決断できるか。一歩踏み出せるか。
大人の男になるには決断しなければならない、それがトシちゃんの考えでした。
ひきとめず 行かせてくれ 胸の夕陽が赤いから 田原俊彦
『ごめんよ 涙』 1989
☆彡
タッチン、男の子はね、独りで何かをやることが必要なのよ 杏子役
『ヤヌスの鏡』 CX 1986
慎吾ちゃんはトシちゃんの5年も前に独り立ちしていました。
子どものころから独りで考え、独りで行動していた慎吾ちゃん。お膳立てされるよりも、何でも自分でやりたがった。それは芸能活動や作品づくりだけではなく、人として日常の生活を送るにあたっても。
芸能人である前に先ず人として、自ら経験して社会を知りたい。仕事も人生も自分で決めたい。人任せにしたくない。そのためには外に出るしかありませんでした。
「いくら人気があっても、電車の乗り方を知らなかったり、税金なんかも事務所まかせっていうのはよくないと思ってたわけ。
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で、自分でやってみたいって、事務所の社長さんに話した。」「ボクは、やっぱり何でも手作りでやっていきたいんだ。」 風見しんご gakken 1989
今とは比べものにならないくらい困難な道。だけど、慎吾ちゃんが考える人生の価値は、自分の足で歩くということ。それがどんなに険しい道だとしても、自分を偽ることはできない。
慎吾ちゃんの足元にはいつも、自立という知性の風が爽やかに吹いていました。
オレは手前の力で生きたいんだよ。男なんだし、食い物も金も女も自分の手で獲ってみたいじゃないか。つまり、風の中にオレはオレなんだっていう旗をぶっ立ててみたい、そう思ってんだよ。 河本達郎役 『ヤヌスの鏡』 CX 1986