ブレイクダンスが日本に上陸したのは1983年。前年の1982年にデビューした慎吾ちゃんは既に全国に名が知れた有名人でした。
タレントの慎吾ちゃんにとってブレイクダンスは、たまにディスコで踊りを挑まれたりすることはあったものの、バトルのためではなくステージング、つまりショービジネスのためのものでした。
ショーであるかぎり、見る人に伝えなければならないわけです。何かを。
何かを
慎吾ちゃんが日本に広めたのはブレイクダンス。でも、人々に伝えたのはダンスの楽しさ、踊る喜び。
でもでも、もっと伝えたかったことは。一番大事なことは。
踊ることは生きている証。ダンスは命の表現。生命は強さに憧れる。その「強さ」とは。
技の高度さでもなく、相手に勝つことでもなく、敵を倒すことでもなく、人を見下すことでもない。
技が出来ない誰かをあざ笑うことでもない。相手の立場が弱くなるのを願ったり、誰かの不幸不運を茶化したりすることでも決してない。
ビフ・タネンのように。岡村隆史のように。
慎吾ちゃんは知っていた。強さとはそんなものではないということを。
僕は広島の人間だから
挑むのは未知なる自分。どこまで自分を高めることができるのか。その姿を見せることによって、まっすぐに突き進む情熱が連鎖する。
“ スゴイねー、慎吾ちゃん。やってみたら。”
「不安なときもあったんですけどね、チャレンジしますよ。やります!」
「ポケーッと見てないで、キミもやってみたら?」
20 years on
「挑戦してみよう。砕け散ってもいいから。」
キミもやってみたら
Take a chance !
挑戦してみよう 砕け散ってもいいから
☆彡
あれから36年の月日が経ちましたが、私たちの脳裏には今でも、慎吾ちゃんが息を切らし汗を飛び散らせながら必死に踊る姿があります。あのとき少年少女だった私たちは皆、それぞれの人生でそのような場面を迎えることになるのです。
命が舞う 情熱が連鎖する