80年代ソロアイドル男子のお母さん
80年代ソロ男性アイドルについて書いてきましたが、このメンツを見ると、キーワードとしてそれぞれの「お母さん」を連想します。当時、人気アイドルにまつわるあらゆるネタが出されていて、よくご家族についても語られていました。
マッチの件は特に有名だし、トシちゃんのことも有名、慎吾ちゃんの家族ネタもよく出ていました。
マッチの場合は悲しい事故もあったりなど当時からかなり知られているのでここでは省きます。
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トシちゃんが母子家庭というのは知ってました。芸能界に入ったのは稼いでお母さんを楽にするため、と後年の回顧系番組で改めて知りましたが、当時からまあそうなんだろうなとなんとなく思っていました。
トシちゃんのデビュー前のエピソードとして、レッスンのため毎週末甲府から東京に通っていたというのは有名でした。なので「トシちゃんって努力家なんだなぁ」と思っていたし、芸能やアイドルに興味のないウチの母も「トシちゃんってイイよね!マジメよね」なんて言ってて、ファンじゃないけど好感が持てるタイプでした。
スターになるしかない、他に道はない、そして目的に向かって邁進し本当に実現させるというのは、驚異的な運と力だと思います。トップに立ち親孝行も果たせ、夢のような人生。本人もきっと世の中を掌中に収めた気持ちだったと思います。「お母さん、オレやったよ!」って。
しかし1987年、人気は少し落ち着いたけどまだまだトップスターだったこの年、紅白出場者から漏れてしまいました。
当時はまだ紅白や賞レースに権威があり、落選したということは「もうあなたの時代じゃないよ」と言われているようなものでした。私には、NHKが「我々は紅白の質の向上に努めていますよ。ほら、ちゃんと(歌唱力のない)トシちゃんを落としてるでしょ。」と言っているように感じました。
アイドルから大人のスターへの転換を目指して充実した芸能活動を送っていた中でのこの結果は、他者の想像以上にプライドが傷ついたことでしょう。でも、翌年ドラマと曲をヒットさせ、再びトップに立った。このあたりからトシちゃんのキャラが変わっていったような気がします。「それみたことか!」と。
努力して若いうちに夢を叶え、家族を救ったんだという誇り。スターでいることのこだわり。芸能界以外では生きていけないという危機感。挫折を乗り越え大人になったのと同時に、警戒心がナイフのようになって人を寄せ付けない雰囲気を持つようになってしまったのかも。また、元来持ち合わせていた自立心が後の独立につながったのでしょうか。自己裁量と引き換えにさまざまな苦労があったようです。
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慎吾ちゃんのところは町工場経営で、比較的恵まれた家庭だったようです。あたたかい家族に囲まれしっかりした教育を受けたせいか、おちゃらけても礼儀正しくさっぱりとした、どこか超然とした雰囲気がありました。
過労でダウンしたら広島からすっ飛んで来るような優しいお母さん。愛情たっぷりに育てられた男の子特有の心根の良さ、自己肯定感だったんでしょうね。慎吾ちゃんは尖ることのない、執着がない、品のようなものが根底に横たわっていたと思います。
『涙のtake a chance』の制作のころ、先のことを考えて一時期不安になったそうです。たまたま芸能界に入ることになってしまったけど、健康に不安のあるお母さんに安心してもらう生き方は他にあるのではないか、などと悩んだのでしょうか。親孝行したい、恩返ししたいとばかり。でも、お母さんは前から「息子に世話や迷惑をかけたくない、自分のことだけ考えてほしい」と言っていて。不安を乗り越え心を決め「チャレンジします!」と。それがあのヒットにつながったのではと思います。
お母様は数年後、慎吾ちゃんが心配したように深刻な状態になられました。
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いろんな家族のかたち、お母さんへの想いがありますが、このような息子を持ったら母としてこの上ない幸福でしょうね。
ところで、なぜか晃司クンについては全然知りません。なんでだろう…、話すのは親父ネタと水球ネタばっかりだったからかな。