なぜあんなに不思議なダンスができたの
昭和のお茶の間、瀬古利彦選手のように髪を切ってテレビに登場し歌い踊る慎吾ちゃんを見て、人々は仰天しました。「なんじゃ?こら」と。
それまでテレビで見ていたダンスは流れるような動きで音に乗るもの。なのに慎吾ちゃんとバックダンサーの動きはカクカク、ウネウネ、走り回る飛び回る。初めて見たとき私は「これって、カッコイイのかそうじゃないのか、よく分からない」。要は不思議だった、ってことなんです。そのダンスが、とっても。困惑しながらも、ドキドキしながらテレビにくぎ付け。
慎吾ちゃんのダンスは、機械っぽいのに人間味があり、爆発的なのに几帳面で、破壊的なのに生成的で、合成なのに純正で、やりたい放題なのに利他的で、衝動的なのに知的。ぎゅうぎゅうに詰まっているのに軽く、がむしゃらなのに爽やかで、深遠なのにとっつき易く、シンプルなのに高度で、大胆なのに礼儀正しく、激しいのに品があり、熱いのに冷徹で、温かいのに清涼。
格闘しているのに平和で、物理に則しているのに自由。整然としたカオス。まさに、矛盾に広がる大宇宙。
なんでこんなに極端な二面性をいくつも内包しているのか、心当たりがあるので検証します。
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野山駆け巡る幼少期。木登りしたり秘密基地作ったり川でザリガニとったり。そんな自然の中でのびのびと育ちながらも、明晰な頭脳を磨き超難関の中高一貫校にバッチリ合格。
優秀な頭脳が集うエリート環境に身を置きながらも、全く勉強せず日々街に繰り出しゲーセン、ディスコ。驚異の身体能力の持ち主、なのに特にスポーツもせず部活もせず、UKロックと映画に夢中。工学部志望のメカニカル系、なのに生き物が好きなあまり生物を独学。少林寺道場に通いながらも、お洒落でギンギンのヘアスタイル。お堅い男子校に通いながらも、他校の女の子や年上のおねえさんとお付き合いしたりとその方面の青春もちゃっかり。
広島に精神の根を張り故郷をこの上なく愛しながらも、大都会東京で暮らすことを選択。大学は上流階級が占めるおハイソ空間、だけど付き合う友人たちは原宿の不良。後の劇男一世風靡。
芸能界では素朴な印象の欽ちゃんファミリー。だけど親友は族あがりで横浜銀蝿の嶋大輔。位置付けられたのはアイドル、だけどカルチャー通の尖った作り手志向。テレビで歌う曲はさえない男の子の失恋ソング、だけど個人的音楽志向はパンク、ニューウェーブ。コンサートではギンギンのニューロマメイク、なのに踊るのはヒップホップ。イギリス、なのにニューヨーク。
1984年お正月 → 半年後の夏
しっかりした家庭に育ち高等教育を受けた慎吾ちゃん。なのに付き合ったのは、教養や感性を特に持たない可愛いだけの女の子。
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属している環境と相反する行動を取る。二極を生きているみたいに。その要素の対極性、つまりギャップが不思議感を生んでいるのかも。パンクの「ぶっ壊す!」「自分のやりたいようにやるぜ!」的な精神を持ちつつ、奉仕の精神で真摯にダンスに向き合う。
対極性のある人生で遭遇した「カッコイイ」と思う要素を何でもどんどん吸収する。それらが自分の中で統合され膨らんで爆発的なエネルギーとなって何か新しいものを放出する。そのエネルギーと新しさが「不思議」となって人々の心を鷲掴みにするのではないかと。
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自分が発するものが受ける人の魂を揺さぶり行動力を促すものでありたい。
その精神が思考の高さであり、感動を生むものだと思うのです。
2022/11/10