慎吾ちゃんのムーンウォーク成功のカギ
前回の記事で、トシちゃんは慎吾ちゃんの玉砕ダンスを目の前で見て、こう思っただろうと書きました。
「オレは計算してパフォーマンスしよう」
そしてその思いがトシちゃんのダンスキャリアの成功のカギとなったと。長年に渡り華麗な大人のダンスを披露してくれました。
遡ること2年、1983年の七夕の夜、ザ・ベストテンに初出場した慎吾ちゃんは、目の前でムーンウォークするトシちゃんを見てこう思ったでしょう。
「自分は技を詰めてから披露しよう」
トシちゃんが憧れのマイケルに倣って『シャワーな気分』1983 の間奏で見せたムーンウォーク。日本のテレビでは早期の披露で、そのチャレンジ精神を賞賛します。
しかしながら…、出来がいまひとつなんです。以前も書いたように、人々に「わぁ、何あれ!」と思われるような感動的なレベルに至ってなくて。印象がなくて、当時話題になったりマネされたりっていう風潮ではなかった。だからトシちゃんによってムーンウォークが広まったり浸透したりしたのではないと思います。もし夏の『シャワーな気分』で人々に認識されていたら、次の曲『さらば…夏』1983 が秋にベストテン入りしたとき歌う前にわざわざ改めてやってみせることはないでしょう。しかも、トシちゃん自身が後にその映像を見て「ダメだぁ」と言って出来に納得してないご様子。本人もムーンウォークの視点で『シャワーな気分』を見られたくないと思います。
この曲で話題になったのはマイク投げの見事なキャッチ。トシちゃんの醍醐味はターンと脚の振り上げ、さらにトータルで魅了すること。
慎吾ちゃんがテレビで初めてブレイクダンスを見せたのは1984年末の『涙のtake a chance』ですが、その半年前にリリースした『そこの彼女』の頃には既にかなり踊れていたと思います。同時期のコンサートツアーで、ブレイクダンスをメインテーマにしてダンサーたちと踊っているので。たぶん曲調に合わない新曲に中途半端に導入するつもりがなかったのでしょう。また、テレビで披露するにはいろんな技を納得のいくまで詰めておこうと。ムーンウォークも見る人に「おおっ!」と思われるレベルにまで。
ステージでしっかり場数を踏んで、一連の技を整えてからテレビでいきなり「バーン」と見せつけたからこそ、日本中に衝撃と印象を与えることができた。30年以上経った今でも、ブレイクダンスもムーンウォークも代名詞は慎吾ちゃんだと真っ先に人は言う。その代わり革命児の宿命、歌手活動は短期に終わりましたが。
この二人の相互作用が、以前示したダンスエンタメ体系図の経緯です。
「慎吾ちゃんはこう思ったでしょう」って勝手な妄想しましたが、この日はベストテン初出場の応援に欽ちゃんバンドのメンバーが来てくれて感激で泣きそうになってて、それどころじゃなかったと思います。周りには原田知世ちゃん、河合奈保子ちゃん、明菜ちゃん、キョンキョンと素敵な女の子たちがいたから泣くのをガマンガマン、番組が終わって廊下に出てからうれし涙を流したそうです。可愛い!