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パリで花咲く 慎吾ちゃんの願い
「ボクは初めて大将にさからった。“やりたいことがあるんです、やらせてください”って、みんなといっしょに大将の前に行って、ブレイクダンスを見せたんだ。以前、“踊って歌うの10年早い” って言われていたし、大将がなんて言うかなって、正直言って不安だったよ。そしたら、ひとこと。
ブレイクダンスにおいて新しい歴史が始まりました。呼び方は“ブレイキン” として。
呼び方は変わっても、根本は一緒。慎吾ちゃんが40年前、テレビでブレイクダンスを見せたとき、踊りを通じてもっとも伝えたかったこと。
「これは見た目ほど難しくない。特に先生についたわけじゃないから、キミだって絶対できるよ。」 shueisha 1985
キミだって絶対できるよ!
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「やろうと思ったら、もっとすごい技ができるんですよ。でも、あえてそれをやってないのは、自慢げにすごいことを見せるよりも、簡単でもみんなで踊ればこんなに楽しいんだよ、っていうのをわかってほしいんです。」
BP New Year 1985
自分の好奇心に対して当事者になる心意気、誰かからやれと言われるまでもなく、自ら行動する精神。
「ポケーッと見てないで、キミもやってみたら?」 shueisha 1985
キミもやってみたら?
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40年の時を経て、巡って巡って繋がれて繋がれて、今ここまでたどり着いた。そして、これからも忘れないで! 挑むということ、“take a chance” を。
“ スゴイねー、慎吾ちゃん。やってみたら!”」 shueisha 1985
やってみたら
21歳の慎吾ちゃんは、大将の言葉を胸に賭けに出るのです。それが40年後、こんなかたちで花開くとは全く思っていませんでした。
“ いくらできないと分かっていても、せいいっぱいやれ。踊りなんかヘタでいいから、とにかく汗をかくんだ。気を入れてやっていればお客は絶対に分かってくれるし、それは5年後10年後に花が咲き実になるんだ。” 萩本欽一
1982年 TBS「欽ちゃんの週刊欽曜日」稽古場にて magazine h 1984
☆彡
真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。苦節26年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ。 津田一男 「強じんな雑草 いま大輪の花」 球心 中國新聞 1975年10月16日 広島東洋カープ リーグ初優勝翌日