ブレイクダンスの伝道師
以前、「知性と奉仕の云々」みたいなことを書いたら、そのタイミングでブレイクダンスがパリ五輪2024に正式採用されたというニュースがやって来ました。
慎吾ちゃんの一番の功績は、それを一般に普及させて広く大衆に知らしめたということ。灯をともして人々を明るく(≒啓蒙の意)してそれが日本の皆々様にとっての認識基盤となり、そこからいろんなことが始まったと。
85年コンサートツアー 全国40か所 shueisha 1985
なので、一番ふさわしい呼び名は「ブレイクダンスの伝道師/Evangelist of break dance」だと思うのだが、伝道師といえばフランシスコ・ザビエルの名しか出てこないお勉強不足な私なのだけど、そういえば慎吾ちゃんはその手のミッションスクール出身。
おお! ここでつながった。「ひたむきに」とか「ひたすら」「真摯に」とか「貢献」「他者のために」とかを彼のダンスから感じていたのはこういうことだったのかなって。
Be Men for Others, with Others Hiroshima Gakuin
私は信仰など詳しくないのでよく分かりませんが、40年後にこんなかたちで花開くって夢があるし、本物のレジェンドですね。
“ワシは広島の神童” magazine h 1984
そこでこのたび採用決定を祝して、慎吾ちゃんのルックス変移を次回でたどりたいと思います。
あんなに普及した大きな理由として、彼が既に知名度のあるイケメン芸能人だったからというのが大きいと思います。何度も言うように、ダンスが上手いから芸能界入りしたり有名になったりしたのではなく 、既に大ヒット曲を持つ人気アイドルが新ジャンルに挑んでヒットさせたことに効果と価値があるのです。しかも自らの知恵と意思で。
単にダンスが上手いだけだと世間には他にもいるわけで、大きな影響力にはならない。当時の巷のダンサーが、慎吾ちゃんがアイドル歌手だからって彼のダンスを認めたがらなかったようですが、住む世界と役割が違うのヨッ! キャーキャー言われてたから昭和男子の嫉妬を買っていたことでしょうけど、彼は一般ピーポーではなくテレビの人、つまりイケメンでザビエル。
「 みんなで楽しく踊ろうよと、そういう意志の伝達をやりたい 」
慎吾ちゃんが日本に広めたのはブレイクダンスだけど、人々に伝えたのは踊る喜びだったのです。
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ブレイクダンスのブームが終息したころに迎えた慎吾ちゃん24歳の誕生日、つまり34年前の1986年10月10日、欽ちゃん番組のスタッフたちからのお祝いメッセージの中に、このような言葉がありました。 magazine h 1987
「 心配するな! ブレイクダンスまた流行するぞ 」