北野天満神社から桜を見る
僕の家から徒歩15分ほどで行ける北野天満神社の咲き誇る桜と、神戸の街並みを昨日見ました。
今年の桜は早咲きと聞いていた通り、桜はほぼ満開状態で咲き誇っていました。
この北野天満神社は、治承4年(1180)の6月、平清盛公が、京都から神戸に都を移し、「福原の都」を造るに当たって鬼門鎮護の神として、京都の北野天満宮を勧請して祀られたことが始まりだったらしい。
そお、神戸はわずかな期間だったけど日本の首都になったことがある。
なので神戸には平清盛の痕跡が、あちこちにあります。
なぜ長く都としてあった京都を捨て、いきなり神戸に都を移したのか?
それを調べていくと平清盛という人の面白さが分かってくる。
平清盛という人は武人というよりも、むしろ経済の方に才が長けていたのだと思う。
神戸に遷都した理由は、日本に貨幣経済のシステムを作りたかったからである。
当時日本はまだ貨幣経済ではなかった。そして当時の中国には貨幣が存在しており、それを平清盛は日本に導入したかったというのが理由で神戸に遷都したのだ。
神戸は当時の宋(当時の中国)と貿易関係にあったので、その貿易の地である神戸に重きを見たのだ。
だから、それだけの理由で由緒ある京都からいきなり都を神戸に移した。
アイデアはとてもいい。
貨幣経済の元を自分で作れば、日本の財を自分の好きなようにコントロール出来る。
経営者的観点からみれば、展望は秀逸だ。
なので平清盛という人は武将というよりも、経営者的な素質の方が大きかったと僕は思う。
アイデアは良かったのだけど、場の空気を読めなかった。
我の都合だけで遷都したものだから、周囲からは総スカンを喰った。
寄ってたかって叩かれたので、またすぐに京都に都を戻した。
遷都は結局失敗した。
なのでもう少し政治的手腕があれば、日本の歴史は大きく変わっていたと思う。
この北野天満神社は、神戸に遷都された時、都を守る鬼門鎮護の社として出来たものだ。
この境内からは遥か神戸の港までを見渡せる。
境内からの素晴らしい神戸の眺望は、天神様の清らかな眼差しを受けて今日も輝いている。
もし都がそのまま神戸にあったとしたら、、、
そんなパラレルワールドも見てみたい気もした。