迫りくる“AI・ロボット時代”、私たちはどう生きるか?
あれは2023年の2月だった。
きっかけはおぼろげだが、たまたま「すごいAIが誕生した」と耳にした。
また大袈裟な......。
しかし、ものの見事に裏切られた。初めて見たとき、そして触れた時に確信した。
「これは世の中を変える」と。
そして今、あの時に受けた衝撃と、あれ以降見聞きして考えてきたことをここにまとめよう。
深まり続ける「生成AI」への確信
あれから1年半ほどが経とうとしている。
「すごいAI」と言われたChatGPTは「生成AI」としてすっかり市民権を得た。さらに、ChatGPT以外にも素晴らしい生成AI関連のソリューションが次々と登場している。さながら「現代版カンブリア紀の大爆発」といったところか。
一方で、私の生成AIに対する印象は変わらない。「すごい」、ただこの一言に集約されてしまうのは、当時のままだ。
まず「進化のスピード」が速い。これは新機能が追加されたとかだけではなく、文章生成や画像生成などのクオリティの進化も含まれる。
曲がりなりにも、私はお金をいただいて文章を編集したり書いたりしている(このnoteは違うが)。そのため、文章に対する感覚は一般的なレベルよりは高いと自負している。だからこそ、生成AIの文章を読んで違和感を抱くことはあるし、本当に伝えたいことは必ず自らが筆を執るようにしている。
一方で、生成AIの文章のクオリティが飛躍的に高まっているのもひしひしと感じる。これは数年という単位ではなく、数カ月単位での話しだ。オープンAIジャパンの社長の「指数関数的に進化する」というコメントは、単なるセールストークではないと捉えている。
このスピードで進化したら、いつか自分も......。
この印象は初めて生成AIに触れた時よりもさらに強まっている。
脅威から「相棒」へ
生成AIに初めて触れてから1カ月後、フリーランスだった私は再び会社員になった。理由はさまざまだが、その1つに生成AIの存在があった。自分の実力では、生成AIにあっという間に抜かれてしまい、食いっぱぐれてしまうかもしれない。本気で危機感を抱いたのを今でも覚えている。
当時ほど悲観的ではないが、今も危機感はある。しかし、1年半の時を経た今、同時に「希望」も抱いている。
生成AIとタッグを組めば、より良いコンテンツを今までは考えられなかったスピードで世に発信できるのではないか。自分に新たな可能性をもたらしてくれるのではないか、とーー。
だからこそ、文章のプロとして、生成AIも活用しながらメディアを立ち上げてみたいと考えるようになった。
世の中で生成AIが騒がれている一方で、実際に活用したり、その存在を踏まえて自らの生き方を真剣に考えたりする人はまだまだ少ない。NTTドコモ モバイル社会研究所の調査によれば、2024年1月時点でChatGPTについて約半数は知っているものの、実際に利用したことがあるのは15%、よく利用している人に限ってはアンケート回答者の3%にすぎないという。
だからこそ、今からしっかり使っていくことに価値がある。
現時点で、私はChatGPTをベースに、文章生成では「Claude」を使っている。また調査では「Genspark」、画像生成では「Image FX」も活用している。この程度ではあるが、冒頭にもお伝えした通り、記事が更新されるたびにここに記載されるツールが増えていくことだろう。
one-person billion dollar companyが誕生する
これまでAIブームはたびたび訪れていた。一体、何度目になるのだろうと思う人もいるだろう。
しかし、生成AIは単なるブームでは終わらない。大きなトレンドとして、今後のビジネスや私たちの生活を大きく変えるだろう。
いわゆる人間が行ってきた知的活動の大半は、生成AIの方が秀でているという時代になる。いや、すでになっていると言っても過言ではないだろう。画像を生成するにも、私では何時間かかっても作れないサムネイルを生成AIは一瞬で作ってくれる。調べ物をまとめるのも、GensparkがすぐにSparkpageにまとめてくれる。
もうあらゆる点で、生成AIが私より優れているのだ(唯一、文章についてはまだ私に一日の長があると思いたいが......)。
そして、この現象は今後社会のあらゆる場面で起こる。無論、私たちの仕事もそうだ。
まずホワイトカラーの仕事は、今後数年で一気にAIが取って代わるだろう。リサーチやメール・メッセンジャーアプリの返信、社内文書の作成、提案書の作成などにとどまらず、デジタルマーケティングの企画・戦略立案・実行まで一気通貫で進めたり、AIアバターがオンライン商談で営業をしたり、コールセンターでAIオペレーターが受電率100%で対応したりするなど、活用の幅が信じられないペースで広がると予想する。なぜなら、これをできる企業が圧倒的なパフォーマンスを発揮するからだ。
そして、ゆくゆくは人間は社長だけであらゆる業務をAIが捌く企業が台頭することだろう。Open AIのサム・アルトマンの「one-person billion dollar companyが誕生する」という予言は、今後数年のうちに現実のものになると筆者は見ている。
AIの進化がもたらした「ロボットの進化」
AIの台頭は、主に知的生産を担うホワイトカラーの職を代替するとして語られてきた。
しかし、ホワイトカラーだけでなく、いわゆるブルーカラーの仕事も代替しようとしている。そう、AIによって「ロボット」も劇的に進化しようとしているのだ。
以下の動画で登場するロボットが象徴するように、今までのロボットとは一線を画した動きをする。形も犬型やヒューマノイド型まで実に多彩。このような動きが今後さらに加速しそうだ。
今後、このようなロボットたちが至るところで活用できるようになったらどうなるか。少子高齢化で人口減少に悩む日本にとっては、まさに福音だろう。特に人手不足が叫ばれる物流や介護、飲食などはロボットの手も借りたい状況だ。キラーコンテンツならぬ「キラーロボット」の登場が待たれる。
ロボット・AIを活用できないものは衰退する
ここまで触れてきた通り、生成AIもロボットも破壊的なインパクトを持っている。
人類はあらゆる発明に成功して、イノベーションを起こし続けることで繁栄を遂げてきた。産業革命以降であれば、「蒸気機関」やテレビ・ラジオ・インターネットなどの「通信」、比較的直近では「スマートフォン」も社会に大きな影響を与えている。
しかし、ロボットの進化や生成AIの登場は、これらのイノベーションとは比較にならないと私は考えている。
スマートフォンが登場しても、人間が労働から解放されることはなかった。ところが、ロボットや生成AIがさらに進化したら、現時点で人間が担っている労働はほぼ代替されてもおかしくない。むしろ人間が介在しない方が、好ましいという状況すら起きうると予想する。
人間は24時間365日、寝ることも食べることも放棄して仕事をし続けることはできない。しかし、AIとロボットは電源が確保されている限り、いくらでもできる。時速100kmで走る車に100mの世界保持者が勝てないと同様に、現代の仕事においても同様のことが起きるだろう(現在、自民党総裁選では「解雇規制」に関する議論が持ち上がっているが、AI・ロボットが普及することを考えると論点がズレているように感じる)。
逆に、この破壊的なイノベーションの恩恵を受けようとしなければ、衰退の道は免れない。現代では「飛脚」ではなく、「トラック」で配送するのが当たり前になっているように、あらゆる場面でロボット・AIが使えないか模索することが求められる。そして、これはやがて、企業や自治体、そしてビジネスパーソン1人ひとりの盛衰を分けることにつながるだろう。
2010年代の変化を見て、感じたこと
やたら生成AIやロボットを推す姿勢に嫌気がさしている読者もいらっしゃるかもしれない。しかし、ここまで推すからには、私の実体験をもとにした理由がある。
世の中にスマートフォンが登場したのは、私が大学にいたころだった。たまたまiPhone 3GSのモニターに選ばれて、心を躍らせながら次世代の携帯電話に触れた。
しかし、当時は散々だった。まずネットがほとんど繋がらない(当時のソフトバンク回線は、今とは比較にならないくらい貧弱だった)。さらにバッテリーがすぐに消費され、実用性もほぼない(今のようにコンビニに充電器がある時代でもなかった)。
これが世に広まるのか、懐疑的にならざるをえなかった。
ところが、私の見当は大きく外れた。次世代のiPhone 4では大きく改善され、実用性も上がった。SNSとの相性も抜群で、今では当たり前に使われるようになった各種サービスが台頭する姿も見てきた。ADSLをなんとかつなぎ、動画すら満足に視聴できなかったあの時代は、あっという間に過去のものとなった。
私自身の生き方も大きく変わった。特に変化をもたらしたのは「仕事」だ。スマートフォンでメッセージを返すこともできれば文章を書くこともできる。なんなら転職や副業の仕事探しもスマートフォンで可能だ。
大切な人との出会いも、起点はスマートフォンやSNSなどの各種アプリだ。趣味の仲間とはX(旧Twitter)で出会い、最愛の妻ともスマートフォンアプリを通じて出会っている。
仕事、そして人生を、スマートフォンやアプリ、そしてそのインフラとなるブロードバンドが変えた。この実感があるからこそ、現在の生成AIやロボットの台頭を見過ごすことはできないのだ。
AI・ロボットが普及したその先を見据える
大変化の時代を迎えようとしている今、自分に何ができるだろうか?
その問いに対する答えの1つは「書く」ことだった。
以前の記事でもお伝えした通り、私は30代を編集・ライターとして過ごしてきた。独立も経験して、自分で稼ぐ喜びと苦労も味わってきた。収入額はひとまず置いておいて、充実したひと時を過ごすことができたと同時に、「書く」ことについては飛躍的な進歩を遂げた(元のレベルが低かったというのもあるが)。
動画全盛の時代、そして生成AIが大量に記事を生み出そうとしている時に、果たして文章を書くことにどれほど意味があるのか。そんな不安を抱きながらも、一方で自らの手で自らの考えを発信できることの尊さをひしひしと感じている。大変化の時代に自分は何を考え、どう行動してきたのか。日記のような雑文でも、できる限り日々残すことに「自分なりの」意義を感じている。
AIの強みは、一般的な最適解を高速で導けることにあると思う。しかし、一般的な最適解はえてして面白みに欠けることがある。生成AIに触れても、イマイチ手応えを感じないという時はそこに原因があるはずだ。
これからの時代、一般的な最適解はAIがどんどん生み出し、フィジカルな世界ではそれに基づいてロボットが次々とアクションを起こすようになる。
そんな時代に大事なのは「自分なりの」最適解だ。自らの気持ちに正直になり、それを実現するために行動する。「言うは易く行うは難し」ではあるが、七転八倒している姿もできる限り書き留めたい。
そして、いずれこのnoteを「私たちはどう生きるか」を読者と共に考えるメディアにしたい。