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観なければよかったと思った観るべき映画

予告編をみて、これは観に行ったほうがいいんじゃないかなと思った。
そうして公開されて、実際に映画館に観に行ってみて、観ながら深く後悔した。
この作品が良いとか悪いとか、クオリティがどうとか、そういうこととは全然関係なく。
来なきゃよかったと心から思ったけど、それでも観に来てよかったとも思った。
感じることが矛盾しまくりで、だけどそのどれもが率直な真情で。
そういう映画だった。
観てよかったというか、観るべきものだったんだと思う。



この映画のフライヤーには、『アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた』というキャッチフレーズが書いてある。
内容を説明する、過不足ない完璧な短文だと思う。
ほとんどそれがすべてだ。
わたしはこの映画に出てくる誰のことも一人残らず好きじゃなかったし、肩入れ出来る人も誰一人としていなかった。
なにより、その好きじゃないと感じる人たちの中になんか自分みたいな人間がいそうで、ひどく怖かった。
いや正直、状況が整ってしまえばわたしがいてもおかしくないのかもしれないとすら思った。
そりゃそんな映画、誰だって直視したくないでしょう?





わたしは自分が生まれつき頑固な面を持っていることを知っている。
でも、同じくらい影響を受けやすいことも知っている。
わたしの頑固さを突き破る何か…たとえば大事な人や物を守るためだとか、情とか正義みたいな話を絡めて焚きつけられたら、あっけなく流されて別人みたいなことをしてしまうんじゃないかという恐れを抱いて生きている。 
そんな自分は想像するだにすごく怖いし、気持ちが悪い。
すごくすごく、気持ちが悪い。
それを改めて突きつけられた映画だった。



この映画には、迫害されている側の被害者の姿は、たったの1人も出てこない。
したがって、出てくるのは大人から子供までみんな加害者側というわけだけど、それが揃いも揃っていたって普通の人間ばかりだった。
自分たちが他者を支配できる側だという狂った思想を、どこかの時点かで受け入れてしまった普通の人たち。
自分のすぐそばで非道なことが行われていると知ってはいても、〝その人たちはなるべくしてそうなっているのだ〟と、納得して信じ込めてしまった人々ばかり。
彼らは自然や花を見れば美しいと思うし、家族や隣人を愛しもする。
細かいエピソードはネタバレになるから書けないけれど、その姿はあまりにのんびりと牧歌的で、あまりにありふれて俗っぽい。
彼らが鬼や怪物じゃないこと、自分と何も変わらない人間なことに、安直にも絶望したくなる。


今現在も、この映画と似たようなことは起こっている。
世界のどこかで。
おそらくわたしの日常のどこかでも。
一度受け入れてしまったら、あとは普通のことになってスルーできてしまうようなこと。
だから一度たりとも受け入れないことが大切なのだと、わかってはいる。
でも、始まりはすごく静かで、気付けないくらいに自然なのかもしれない。
自然なことは、目に入っているはずなのに脳にまでその本当の意味が届かない。
そうなるとわたしには自信がない。
他の誰かにも、自分自身にも、騙されない自信がない。


息子が小学生の頃、授業参観が社会科の授業だったことがある。
細かい内容は覚えていないけど、戦争に関することだった。
まだ思想的にまっさらな年齢のこの子供たちをひとつの方向に誘導するのって、すごく容易いんだろうなぁ…と思ってゾッとしたことだけは覚えている。
だから、どうしたら簡単に誘導されてしまわないようにできるのだろうと、当時考えた。
結果、知ることだなと思った。
誰かの言うことをまるまる鵜呑みにするんじゃなくて、自分なりの客観的な情報ソースを複数確保すること。
こうだなという考えが自分の中で固まる前に、別の考えを聞く耳を持つこと。



正直わたしは政治的な活動に熱心な人間ではないし、誰かと共に行動を起こそうとか、ましてや誰かを積極的に啓蒙したいとか思うことはまったくない。
あくまで自分がどう考えてどう選択して、どう生きてくかだけしか考えていない。
その他には、自分が生涯責任を負う存在の家族たちにどう考えて生きていって欲しいか、その要望を示して伝えたいということくらいだ。
だからわたしは、息子や夫たちが何か絶対にこうだと信じているようなことを強い口調で言うと、意地悪なほど逆のことを言う。
もしかしたらこうかもよ?
あなたはこう感じてそう考えたんだろうけど、その人はこう考えたのかもよ?
自分と別の視点を持つことは、ほんの一瞬でもその人を人たらしめる。
そう信じているから。



わたしは、ただ真面目でいることはやめようと考えている。
まっすぐに一つのことだけを信じるのはやめよう、と。
Aだぞと断定して押し付けてくる者がいたら、いや実はBなんじゃね?って舌を出して言う人間でいようって。
それが不真面目で軽蔑される態度だとしても、そっちの方がわたしは好きだし、そういう自分ならば信用することができる。
この映画の中には真面目な人しかいなかった。
それが本当に、匂いがしそうなくらい醜悪だった。





最後にもうひとつ、この映画について何か直接的な感想を言うとしたら、とにかく音を重要なファクターとしている映画だなーということだ。
ジョナサン・グレイザー監督がいろんなミュージシャンのMVを撮ってきた人だと知って、ちょっと納得したような気になった。
その人はわたしくらいの世代がかつてかなりのインパクトを受けた、ジャミロクワイのMV「Virtual Insanity」を撮った人らしい。
だからか、この監督は音が人に及ぼす影響の力を知り尽くしているんじゃないか?なんて考えたりして。
それくらい、すべての音が怖い映画だったなぁ…。

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