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五十路ARMY、現実逃避して地球共通語を調べる


英語が得意じゃなくたって洋楽は好き。
歌詞がなんて言ってるかほとんどわからなくたって、良い音楽は聴けば良いってわかる。
それに英語ならば、サビの一部分くらいは一緒に歌えたりすることもあるし…。
元々歌詞に重きを置かない派だったから、そんなふうに思って半世紀近く(インパクト…) 音楽を楽しんできた。
それで良かった。
韓国語で歌う方々を好きになるまでは。

ボルダリングをイメージしてみてほしい。
それが英語曲としよう。
その壁には手がかり・足がかりとなる突起物が無数にある。
学校に英語という教科があったおかげで、いくらわたしでも一応一歩二歩くらいは登ってみることもできるだろう。
だけどそれが韓国語曲となると、壁はつるつるだ。
わたしは一歩目を踏み出すことすらできずに、ただ呆然と地べたからつるつるの壁を見上げるだけ…。
これまでの『曲さえよければ歌詞はどうでも』のわたしだったら許容できたことが、今ではもう許せなくなっていた。
なぜならわたしは地球有数の美しい沼(※私感)に落ちた人間だから。
彼らが何を歌ってるのかその意味を我が耳で聞き取りたいし、何なら大きなお口を開けて一緒に歌いたい…!

逡巡の末、ついにわたしは語学の勉強を始めることにした。
韓国語を基本母音・アヤオヨオヨウユウイから学び始めたのだ。
週一の授業でネイティブ講師の教えを一言たりとも聞き漏らさないよう、真剣に学ぶ。
学生時代にこの熱意があればな… と自分でも思うほど真剣。
動機が切実だから、挫折なんてしない。
してたまるかと歯を食いしばるけど、やはり言語というものは生ものであり繊細で複雑で、規則通りにはいかなかったりしてその都度混乱する。
そもそも五十路の脳みそには、何かを暗記するという行為自体が拷問だ。
挙句、気が遠くなりながら、『地球上に言語がひとつだけだったらよかったのになー』などと妄想しだす始末。
知らず宿題に向かう手が止まり、代わりにその手でスマホを握ってしまう。
検索するワードは『エスペラント』。

なんか、世界共通の言語をめざした『エスペラント』って言語があるって話を、むか〜しどこかで聞いた気がした。
地球上のだれもが何の抵抗もなく呼吸をするように同じ言語を話し、眉間に皺を寄せずとも互いの話を聞き取ることができる世界線…。
考えただけで素敵だ。
それを実現させようとした先人がいるということ?
そもそもそれって何?
今どうなってるの?
わたしの妄想の世界はいつか実現できるってこと?
詳しく聞かせて! エスペラント!


調べてみたら、エスペラントはポーランドの眼医者さんが考えて作ったという、完全に生い立ちのはっきりしているオリジナル言語だった。
時は1887年。
日本で言ったら明治20年。
ちょんまげが姿を消して20年って時期。
そういう時代に遠くポーランドの地で、眼科医ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフさんは立ち上がったんだそうな。
生まれ育った国に関係なく、みんなが同じ言葉で話し合える世界を目指して。

それを考えついたきっかけがまた泣かせる。
ザメンホフさんの生まれた町ビャウィストクは当時ロシア帝国領で、ポーランド人だけでなくロシア人やユダヤ人、ドイツ人など様々な人種の人々が住んでいたのだそう。
町は民族間の対立が激しくて、とてもじゃないけど和やかな環境とは言えなかったようだ。
子供ながらにそんな町の状況に胸を痛めていた少年ザメンホフくんは、人々が対立する原因が言語にあるのではと考えた。
つまり、同じ町に住みながら話す言語がそれぞれ異なっているせいで、ちゃんとしたコミュニケーションが取れていないから揉めてるんじゃね? ということ。

特定の国民性や気質を槍玉にあげたりなんかせず、言語の違いによるコミュニケーション問題に目をつけるとは、なんという慧眼!
そうしてザメンホフくんは、13歳からどこの国のものでもない言語を作り始めた。
めざすはみんなが同じように使える、それまでどこにも存在しなかった共通言語。
考え続けること5年、18歳の時には原案となるものを既に仕上げていたというから驚きだ。
いろんな興味がひらひらと移ろいがちなティーンエイジャーが、5年もの間その地味な活動に熱意を失わなかったってこともかなりの驚きだけど…。
ザメンホフくん、あっぱれなオタク。

そして1887年、少年ザメンホフくんから27歳の大人になったザメンホフさんは、最初のエスペラント教科書の自費出版にこぎつける。
みんなが平等に使いこなせるようになることを意図して作った新しい言語・エスペラントは、語学学習のネックとなりがちな規則の例外や不規則変化が無いから、明快で学びやすいという。
とは言え、単語の語源がほとんどヨーロッパの言語ということで、ここアジアみたいなヨーロッパの言葉に馴染みのない地域の人間にはひとつ大きなハードルがあるし、実際に学んだ方の中にも『そんなに簡単ってわけでもなかった』とおっしゃる方もいるようだ。

だけど、ザメンホフさんの『みんなが同じ言語を公正なコミュニケーションツールとして使って、対等な立場でコミュニケーションをとれる世界になるといいな』っていう考えに共感する人は多かったようだ。
宮沢賢治もエスペラントを学んでいたらしいし、二葉亭四迷はエスペラントの日本版教科書を初めて刊行するし、 新渡戸稲造に至ってはエスペラントを国連に推進したのだと。

ザメンホフさんがエスペラントを使って初めて作ったっていう詩が、またアツい。

民族と民族が敵する心よ、消えよ、失せよ、時は来たのだ。
すべての人が家族のように 
心ひとつになる時が。


かっけぇ…。
なんだか息子らが幼い頃に好きだったウルトラマンのCDの中の、『地球人だよ』を思い出したよ。


マインドは同じだと思われる。
宇宙人から見たら我々は、一括りで『地球人』。
わたしの好きな英国人バンドが、わたしが新たに好きになった韓国の彼らと共作したというミラクルな楽曲が最近出たけれど、そこでも同じマインドを感じたところだった。

『すべての人が家族のように心ひとつになる』って、ちょっと考えたらかなり怖いしやばそうなことだと気付くけど、多分そういうことは言ってない。
一人一人がみんな違う感じ方をするし、それぞれの経験によって信条としていることも千差万別に分かれている。
だけど、お互いの違いを認め合って歩み寄る努力をしたり、歩み寄れない時は心の中でそっとさよならして決して傷つけることなくただ離れてみたり、そういういう方法でなんとなくひとつの形を保つ世界っていうのは、すごく良いもののような気がする。

エスペラントはその後、1954年にユネスコが正式に賛同したり、2012年にはGoogle翻訳の対象語になったりもしているけれど、まだまだ世界的な普及には至っていないようだ。
それにはいろんな反発があって、例えば世界標準語として自分たちの国の言語を採用してほしいって考える国もあれば、 そもそもみんなが平等に同じ言語を使うっていうのに抵抗がある国だってある。
日本だと、過去に過激な団体がエスペラント普及を後押ししていたことがあったらしく、それに対する偏見からエスペラント自体を快く思わない人も未だいるとか。
言葉はその国の人のアイデンティティと深く結びついているから、やっぱり一筋縄ではいかないのだな…。

深いため息をついて、スマホを置く。
自分の脳みその衰えから現実逃避するために妄想し、宿題そっちのけで興味本位にエスペラントをググった結果、思いがけず多くのことを考えさせられた。
140年も前に言語で自分の理想の世界を具現化しようとしたあっぱれな眼医者さんがいたこと、それに共感した人達はこの日本にも多くいたこと。
言語問題はなかなか容易にはいかないということにまで思いをはせて、自分の言語問題(要は宿題📖)にまた舞い戻る。
魔法も近道もドラえもんの道具もこの世にない以上、地道に努力するしかないのか。
それでもやるわ。
だってやっぱり一緒に歌いたいんだもの。




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