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ずっと話をしていると耳は閉じるもの

話し手は,自分が話したいことがたくさんありますから,とにかくしゃべくります。
自分の話は自分の耳で聞けますから,自分の話に自分で興奮してきて,さらに話を続けます。
話したいということは,人間の本能の一つですから,致し方ありません。

しかし,話し続けることは,人間関係においてはあまりよい結果を生み出さないようです。

話を聴いている立場に,立ってみましょう。
夢中になって自分の話をしている相手に対して,最初は集中力を保って聞き続けます。
頑張って聞こうと思うのですが,その話があまりに一方的であったり興味がないことが続くと飽きてしまいます。
すなわち,耳が閉じてしまうのです。

耳は,目のような瞼がありませんから,蓋で閉じることはできません。
閉じることはできませんが,しかし,右から左に流して聞いているふりをすることはできます。
これはまさに聞いていないことと同じです。耳が閉じてしまっているのです。

さて,話し手に立場を移すと,話しては,聴き手の耳が閉じているにもかかわらず,調子にのってまだ話し続けます。
聴き手が,うなずいたり相づちを打ってくれていると,聞いてくれているんだな,と勘違いをして話し続けます。

聴き手が,うなずいたり相づちを打っているからといって,
ちゃんと聞いているかどうかはわからないものです。

話してばっかりだと,相手の耳は閉じてしまいます。
あなたは,相手の耳が閉じていく「音」を感じながら話をしていますか?

2009年3月17日
社長の掟 -今日の教訓- 1251号
二条 彪 著


僕が小学生だった頃、父の講義を教室の後ろで聴き、
大人たちの見様見真似で、コミュニケーションの技法を学びました。

その時に初めて”相づち”を知りました。
確か小学4~5年生頃。

小学生の時に「うんうん」と”相づち”をすると先生や大人に褒められます。

褒められることが好きで、もっともっと大袈裟に”相づち”をみんなに振る舞っていた記憶があります。

会話をするときは、相手との距離、
会話の間を大切にして、相手の話を無理に遮らないことも心得えています。
相手が一番最後に発言したことに、会話の核が見えてくることも学びました。

そう、聴く姿勢や技法に関してはお腹いっぱいの状況でしたが、
初めてこの教訓を読み、話し手としての自分はどうなのだろうか、
と初めて話し手としての自分に焦点があたりました。

30代を過ぎて、失敗や成功/知識や経験を、
まだまだ浅いですが、積み重ねてきた気がします。

「あれ、なんか喋り過ぎちゃっているかな?」

という感覚も増えてきている気がします。歳を重ねるごとに。
知らない間に、相手の耳が閉じていたかもしれません。

聴き手と話し手、どちらの自分も理解することが大切です。

自分の口ばかりではなく、相手の耳にも気を配ります。

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