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映画『敵』レビュー(ネタバレ注意)

吉田大作監督、長塚京三主演の『敵』を鑑賞しました。本作は観客の解釈に委ねる部分が多く、村上春樹の作品を思わせる雰囲気があります。原作は筒井康隆の同名小説で、筒井作品の大ファンである吉田監督の強い思い入れが感じられます。静かに始まりながらも、次第に現実と幻想が交錯し、観る者を不安と混乱の渦へと引き込んでいく作品でした。

ストーリーと演出の特徴

主人公・渡辺儀助(長塚京三)は77歳の元大学教授。妻を亡くし、東京の古い屋敷で一人暮らしをしています。慎ましくも整った日常を送り、スーパーで食材を買い、自ら丁寧に調理し、食後には手動のコーヒーミルで豆を挽き、一杯のコーヒーを楽しむ——その一つ一つの描写が美しく、静謐な空気が漂います。

しかし、ある日「敵がやってくる」という謎のメールが届いたことを境に、儀助の生活は一変します。死んだはずの妻・信子、大学時代の教え子・鷹司靖子、行きつけのバーで出会う仏文学専攻の大学生・菅井歩美など、彼の人生に関わった人々が次々と現れます。ある日、儀助がスパムメールのURLをうっかりクリックすると、PCが暴走し、家の電気が消え、怪しげな人物たちが押し寄せるという異常事態が発生。ここから物語は夢と現実の境界が曖昧になり、観客もどちらが本当なのか分からないまま、息を呑む展開へと突入します。

前半の静かな日常描写が長く続くだけに、後半の急展開は衝撃的です。まるで認知症の進行を体験しているかのような錯覚を覚え、観る側も儀助とともに現実の不確かさを味わうことになります。

見どころと考察

1. 毎日を丁寧に生きる儀助の姿

儀助の日常は、映画『Perfect Days』を彷彿とさせるほど静かで、細部にこだわった描写が印象的です。特に食事のシーンは、美しくもリアル。米を研ぐ、魚を焼く、麺を茹でる——そうした何気ない動作が、まるで儀助の人生哲学を映し出しているかのようです。丁寧に生きる生活における「食」の果たす役割を再認識する機会ともなりました。しかし、こうした「日常の美しさ」が、後半の混乱した展開と強烈なコントラストを生み出します。

2. 夢と現実の境界が曖昧になる後半

映画が進むにつれ、儀助の見る世界はどんどん不安定になります。亡くなったはずの妻との対話、過去の教え子たちとの再会、謎めいた出来事の数々——それらが現実なのか幻想なのか、観る者も分からなくなっていきます。これは、儀助の老いや死に対する不安が生み出した幻覚とも捉えられますし、彼が自らの人生と向き合う過程とも解釈できます。

3. 「敵」とは何か?

タイトルにもなっている「敵」とは、一体何を指すのでしょうか?

単純に考えれば、「死」や「老い」を意味するとも取れます。しかし、より深く考えると、儀助が抱えてきた人生の後悔や、自ら向き合わなければならない過去そのものが「敵」として具現化しているようにも思えます。例えば、かつて密かに好意を抱いていた教え子の靖子の眼前で、妻・信子から浮気を責められるシーン。これは、儀助が生涯抱えてきた罪悪感や自責の念が、彼を苛んでいることを表しているのではないでしょうか。

4. 認知症と映画のテーマ性

映画を2回観たあと、3人の女性とのやりとりや、教え子・椛島光則との井戸を掘るシーンなどもすべてが「夢の中の出来事ではないか?」と考えるようになりました。もしこの映画を第三者が見たら、儀助の行動は「認知症による幻覚や妄想」として映るかもしれません。老いと記憶の混乱が、どれほど人間のアイデンティティを揺るがすのかを描いている点でも、非常に考えさせられる作品でした。

まとめ

『敵』は、観る人によって解釈が変わる奥深い映画です。前半の静かな日常描写と、後半のカオスな展開のコントラストが見事で、まるで観客も儀助の意識の揺らぎを追体験しているような感覚に陥ります。「敵」というテーマが、老いや死、あるいは過去の後悔を指しているのか、それとも全く別のものなのか——答えは観る者に委ねられています。

2回観てもまだ新たな発見があるほど、奥行きのある作品でした。もう一度観て、さらに解釈を深めたくなる映画です。

映画『敵』のオフィシャルサイト

https://happinet-phantom.com/teki/

PS

当日は出演者の舞台挨拶のチケットを入手できました。なま長塚京三さんに会うことができました。

僕は主人公と年齢的に近いこともあって、儀助ほどではないにしろ、常に「死」ということを考えて暮らしていますので、この映画に深く共感できました。しかし若い人たちが果たして、この映画をどのように受け止めるか?分かりません。見る人によって受け止めは様々だと思いますが、素晴らしい映画であることだけは間違いありません。

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