健康格差の現実と雑談外来
■健康管理は自己責任という考え方に対する疑問
近年、健康の社会的決定要因(SDH)の重要性が叫ばれている。政府が健康増進の施策を行っても、頑張れる人もいれば、頑張れない人もいる。政府はどうしても自助努力(インセンティブ)を誘導する施策を行いがちだ。でもそうした呼びかけに積極的に応える人たちはみんな自主的な健康行動に積極的な人たちばかりで、その結果、ますます健康格差は広がってしまう。
■不健康をスティグマ化する社会
「不健康をスティグマ化する社会」の実例は沢山あるけれど、例えば麻生副総理の「俺のように健康に注意して暮らしている人間が納めた税金が主体的に健康管理しない人間のために使われるのはフェアでない」という発言に象徴される。この発言はSNS では広く拡散されたようだけれど、こうした努力した人間が相応に報われるべきだという政治的な合理性が、健康格差を拡大させている。
■観念論としての健康格差議論
「健康格差」について議論しようというと、みんな「それは是正されなければならない」「健康に格差はあってはならない」っていうことで、社会正義の文脈で盛り上がるのかも知れない。でも、そうした患者さんが私たちの目の前に現れるとしたら、果たしてどうだろうか?
Aさんはこんなに行動変容しているのに、Bさんは少しも変わらない、やる気が感じられない。そんなとき、僕たちは「健康格差」ということの現実に遭遇する訳だけれど、こうした現実を、社会正義で語る人はいない。
今回、スティグマのプレゼンをまとめてみて感じたことは、多くの人に支持されている「自己責任論」に、僕たちはどのような言葉で抗っていったら良いのだろうか?というモヤモヤした想いだった。僕たちはそういう人たちに遭遇したときこそ、SDHの重要性に思いを馳せなければいけないのではないかと考えるようになった。
■健康格差を克服する手段としての雑談外来
そうした人と出会ったとき、僕は「雑談」が有効なのだと信じている。雑談を重ねていくことで、1歩1歩その人の暮らす生活、その人が生きる社会に足を踏み入れていくことができるからだ。端から見たら「雑談ばっかりの外来していて大丈夫なの?」と呆れられそうな外来。でも実はそんな人たちの生活に入り込むために雑談があるのだとあらためて気づきます。なんか、雑談外来の言い訳みたいになってしまったけれど、これが僕の雑談外来の言い分です。
■最後に
また機会をみつけて、「自己責任論」の問題点についてまとめてみたいと思います。最後までお読みいただき、有り難うございました。