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オーケストラとベースと和楽器と。

音楽のジャンル?

 クラシック、民謡音楽、ジャズ、R&B、ロック、歌謡曲、Hiphop、J-POP、K-POP 等々、音楽のジャンルは日々進化しています。これはサブスクの中の話だけではありません。例えばミュージカル一つとっても、クラシカルな、オーケストラの大編成による楽曲だけでなく、同じオーケストラピットの中にバイオリンの方とギターやベースをもつ方がいることも珍しくなくなりました。

 例えば、かの有名なオペラ座の怪人やCATSを作曲したAndrew Lloyd WebberによるJesus Christ Superstar は全編ロックバンドで構成されたロックミュージカルですし、今夏に映画版も公開されたBWミュージカル In The Heightsでは、ラップ、サルサ、ヒップホップ、とラテン系の楽曲が使われています。(2009年にオリジナルサウンドトラックが、グラミー賞 最優秀ミュージカルアルバム賞も受賞しています)

 前置きが非常に長くなりましたが、今日は、The Millennium Parade と Knights Tale をみて感じた音楽の融合のことを、いつも通り、勝手ながら、ずらずらと書き綴りたいと思います。

millennium parade 

 まずは、こちらの話から。先日、"THE MILLENIUM PARADE"に行ってきました。”最新技術”という言葉は、ある方の影響で使いたくないので使いませんが、今一番カッコ良い方々のライブを観る、いや、体感してきました。アーティストとクリエーターとファンが時間を共有出来るって改めて素敵な時間だと思います。ステージ中央の物体に映し出された映像をみるだけでも、この方々がいかにカッコ良いかはわかりますし、そんなこと周知の事実で専門学生ごときが書くことではないのでこれ以上書きませんが、とにかく音楽はもちろん、ライブならではの映像の見せ方も含め、全てにおいて最高でした。

 さて、今日は、ライブでも披露された2992について書きたいと思います。

 この曲は、NHKスペシャル・シリーズ「2030 未来への分岐点」のテーマ音楽に抜擢されています。曲の制作過程がNHKで放送されたり、彼の曲への想いがインタビュー記事内で語られていたりと、ある意味でのメディア露出が多いように感じます。また、曲名2992に込められた1000年後に残ってほしい曲というテーマも面白いですよね。(彼の名が音楽の教科書に名を連ねる日はそう遠くないと思いますが)余談ですが、琵琶法師って1000年も続いているのに琵琶法師の鐘の声...から始める印象だけ強くて、私自身全然知らなかったことに気付かされました。映像とはいえカッコよかったな。

 NHKで放送された「破壊と構築」ではバンドメンバーとオーケストラを合わせて30人以上の大編成で行われたパフォーマンスが披露されました。公式Youtubeが謎に消えていたので映像がありませんが、オーケストラの壮大なサウンドから始まったと思いきや、突如入るベース、そしてツインドラムという至宝たちで構成されたバンドメンバーが入ってきます。

 常田大希という大きな舵取りが、ある意味完成されている綺麗なオーケストラと、変化と進化をし続けるバンドメンバーを引き連れて、一緒に大きな船に乗る、この構図は、綺麗なものほど汚したくなる、まさに破壊と構築を体現している常田さんが思い描く理想なのでしょうか。評論家でも何でもないのでわかりませんが、バンドとオーケストラは、楽器の性質上、ぶつかり合ってもおかしくないです。ただ、両者がお互いを助長して一つの楽曲という形に収まる。私はその新しさに惹かれました。

Knights Tale

 1000字を超えてきましたが、続いてKnights Taleの話を書きたいと思います。今回は、日本初演、コロナ禍でのコンサート版を経ての再演です。主演の堂本光一さん、井上芳雄さんを筆頭にカンパニーの仲の良さで知られている座組ですが、再演時も、プリシンバルの方々は変更がなかったりといろいろな意味で奇跡に近い演目です。

 私個人といたしましては、初演時はチケ難で断念(推しがいないこともあってあまり本気でチケットをとっていなかった)、コンサート版は受験真っただ中、再演もなんだかんだ諦めていたところに、1週間前にやさしいフォロワーの方に譲っていただきようやく観劇に至るという感じだったので舞台全体を割と客観視しながら観劇できました。

 相変わらず前置きが長いですが、ここからが本題です。Knights Taleはシェイクスピアの二人の貴公子をもとにジョン・ケアード脚本、ポール・ゴードン音楽・歌詞で作られた作品です。(日本語脚本と訳詞はジョンの奥様、今井麻緒子さんがされています)このミュージカルの特徴の一つが、オーケストラピットにいるオーケストラ、舞台上にいる和楽器チーム(和太鼓・篠笛,能管・津軽三味線・尺八)の4人、そして演者の三者よって語られる楽曲の数々です。勿論、舞台上に演奏者がいることや、いわゆる和物のミュージカルやお芝居で和装を着て、和楽器が使われることはしばしばあります。ですが、今作のように、原作がシェイクスピアで、明らかに洋装で、主人公たちの名前も洋風で(アーサイトとパラモン)、海外の脚本・作曲家の方々、という状態で和楽器を舞台上の観客の視界に入るところにおくというのが私にとってはすごく新鮮でした。

 また、舞台演出もジョンケアードらしい、シンプルな舞台セットとぐるぐる回る盆をつかった見せ方で観客の創造力を掻き立てる系統の舞台です。観劇した皆さん鹿、鹿言っていますが、私的には何か所か出てくる花が印象的でした。言ってしまえば、ただ板の上に盆があって、その周りに磁石?で花をたくさん並べているだけなのですが、その中で姫が歌う曲の伴奏には篠笛が使われています。それが相まっているのか否かあきらかではありませんが、不思議なことに、日本に住む私たちに懐かしさすら思い出させるお花畑に見えてくる。わたしにとっては不思議な体験でした。

オーケストラとベースと和楽器と。

 一見お互いを阻害し合いそうなもの同士の組み合わせでも演者や奏者によって融合することもできる。音楽のジャンルなんてどうだって良い、自分が好きな音楽をもっと好きになれるように、たくさん聴いて、劇場やライブ会場に足を運びたい。やっぱり音楽が好きだ。2つのパフォーマンスをみて思ったことでした。この2つのパフォーマンスに共通点を見いだせるだなんて、思っていなかったので、この長文を書いてみました。

最後に。吹奏楽部の端くれとして演者側にたっていた自分は、今、演奏者側でなくなってしまいましたが、これからも一つのジャンルにこだわらず、様々な音楽と付き合いたいな、なんて思います。


では。

 


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