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【八犬伝】馬琴と北斎のてぇてぇがすぎて劇場で爆発した話。

    『南総里見八犬伝』なんそうさとみはっけんでん。それは、江戸を代表する戯作者(今でいうラノベ作家的な人)・曲亭馬琴きょくていばきんが28年(48歳から76歳までの)という歳月をかけて描き上げた近世日本の最高傑作と呼び声高い名作だ。
    「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字が書かれた数珠玉によって引き合わされた八人の剣士たちの、怨霊・玉梓たまずさとの長きに渡る戦いを描く。
    『呪術廻戦』だし『ジョジョの奇妙な冒険』だなぁって感じのストーリーである。これを今から200年くらい前に書いた馬琴、やばすぎ。しかも28年。98巻。(注:馬琴はご老体です)

    そんな八犬伝が、この秋、映画化を果たした。タイトルはずばり『八犬伝』。ひねりのなさがかえってインパクトを生んでいる。無回転シュートである。
    だが、この映画。内容はジャイロ回転さながらである。なんと、『南総里見八犬伝』と「曲亭馬琴の半生」を交互に描くという凄まじいことが行われている。
    言ってしまえば、『ONE PIECE』の映画と「尾田栄一郎先生のドキュメンタリー」が交互にスクリーンに映し出されるというわけだ。そんなんみるしかないやん。
   
というわけで、公開日当日金曜日だったので仕事終わりに職場の飲み会を断ってレイトショーに足を運んだ。なんとなく興味ありそうな友達も連行した。レイトショーの割にはスクリーンが混んでいて、映画の注目度が露わになった。
    私は普段、映画などをそれほど嗜むわけでもないので、「この映像が〜」とか「ここの演出が〜」みたいな「映像」の部分に関する話は全くできないのだが、一つだけ確信を持って言えることがある。

    この映画、強い。あまりにも強すぎる。

    『八犬伝』の内容を、多少無理はありつつもなんとか1時間くらいで決着までまとめ切った構成力もさることながら、なにより作者・曲亭馬琴(演:役所広司)と、その友人である浮世絵画家・葛飾北斎(演:内野聖陽)がとにかく「尊すぎた」のである。
    途中で間違えてBL作品を観にきてしまったのかと勘違いするレベルで尊い。早く結婚しろ。
    これ以上摂取すると命が持たないというギリギリのラインまで行った。
    
    ※ここから盛大なネタバレを含みます。

    戯作家・曲亭馬琴は、友人の葛飾北斎に新作『南総里見八犬伝』の冒頭を聞かせる。
    北斎は、それを「面白い」と評しながらも、「しかし、絵にはならん」と言い捨てる。
    ここからがてぇてぇポイント。

    北斎は、その場で八犬伝の挿絵を三枚描く。だが、それを馬琴に見せるだけで決して渡さない。何度も何度も馬琴の許を訪ね、話を聞き、絵を描くが、それでもその絵は必ず捨ててしまう。くしゃくしゃにして鼻をかんだり、破いたり...…。
    馬琴もなんとかしてそれを手にしようと、机の下にこっそり隠してみたりと抵抗するが、努力虚しく。

    印象的に何度も描かれる映像なのだが、これつまりは「『作品はめちゃくちゃ面白いからファンとしてファンアート描くよ』と日本一の画家がサラサラっと作者の前で激ウマファンアートを描いた上で、いざ本人に褒められると恥ずかしすぎて消しちゃうよ」みたいなシーンなのだ。かわいい。おじさんたちかわいい。
    しかも、北斎は「この偏屈な馬琴とかいうじじいを理解できるのは俺だけだな」みたいな彼氏ヅラでいるのだ。早く結婚しろ。
    このやりとりが何度も続く中で、北斎は馬琴の背中を台にして描くようになったり、二人の見た目がどんどんと老けていき、北斎の執筆量も減ってきたり...…と時間の流れを表現する一つのお約束として成り立った。

    そんな中、70代になってもまたいつものようにやってきた北斎は、馬琴に「立派な里見城の絵」を描いてみせる。それを受け取った馬琴は「八剣士の迫力があって素晴らしい」と褒める。
    「この絵にゃ、八剣士は描かれていないよ」「おまえさん、目、見えてねぇだろ」と続ける北斎。
    ただのお約束として成立していたほのぼのシーンが急に伏線の役割を持って急にドラマチックになる。強い。本当に強い。
    圧倒的な芸術性を持ったご老人二人が、わちゃわちゃしてる映像ってだけでも尊いのに、こんなことされたら叫んでしまうところだった。

    作品のテーマは「虚」と「実」。映画自体の構造も「虚」である『南総里見八犬伝』と「実」である「曲亭馬琴の半生」を交互に描くというメタ構造を成す。
    「善人善果、悪人悪果」というキーワードが何度も登場し、それが馬琴自身が「虚」の中に描く理想の世界であった。それは、正しき者は救われるべきだ、という彼自身の「実」への祈りでもあった。
    だが、それは叶わず、愛息子も妻も、悲運の死を遂げてしまう。その「実」への絶望が、彼にとっての更なる創作の熱を生む。
    その熱は周囲にも伝播する。最後には、字も知らぬ娘が盲目となった馬琴の目となって完結を迎える『八犬伝』。その奇跡の原動力は彼の「正義は報われる」という現世への願いと、飽くなき創作への熱に他ならない。 
    そして、ラストシーンは北斎の「これは絵になる」という言葉で括られる。
   何かに夢中になりたいけれど、挫折してしまっている貴方や貴方へ。
    この映像を、情熱を贈りたい。

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