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強制収容所紀行文 -アウシュヴィッツ Part3-

 アウシュヴィッツ強制収容所を散策していると、柵を挟んで「向こう側」に民家があるのに気がついた。以前から存在こそ知ってはいたが、まさかここまで目と鼻の先だとは思わなかった。アウシュヴィッツ所長ルドルフ・ヘスが住んでいた官舎だ。彼はまさにここで妻と子供たちと生活を営んでいた。

 「ナチスドイツ」といったテーマに触れる際、ヒトラーやゲッベルスを例に、彼らは「サディスト」だとか、「異常」だなどという意見は必ずといっていいほど出てくる。無論、そのような意見を完全に退けることは不可能だと思う。様々な研究結果によってばらつきがあるものの、少なくともナチスが殺害したのは、ユダヤ人だけで600万人(近年ではもっと少ないとの見方もあるが、このような事実がある以上人数はもはや問題ではない)にのぼると推定されている。これを「異常」と呼ばずになんと呼ぶ。

 しかしながら、そういった犯罪の傍、彼らにも愛する人がいて家庭があった。「収容所での顔」と「家庭での顔」。ルドルフ・ヘスが見せたこの二面性は、私たちの両親や我々にも通じる部分が少なからずあるだろう。考えてみてほしい。家族想いの父は、果たして会社でも優しい人物なのか。部下を叱責している可能性だってある。他社をこき下ろしている可能性すらある。部下や取引先にとっての「父」は、「良い人」なのだろうか。

 人間は複数の「仮面」をつけて生きていると思う。会社でのジブン。学校でのジブン。家でのジブン。愛する人の前でのジブン。嫌いな人の前でのジブン…。なにが善でなにが悪なのか、誰が定義できるというのだろうか。立場によって微妙に、そして絶妙に変わりゆく「正義」をどの角度から捉え、考えるか。少なくとも彼らが信じていた大義は、彼らが暮らしていた世界は、善悪の区別が我々が考えるそれとは違ったというだけの話だと言えるではないか。決して許されることではないにせよ。

 そんなことを考えながら、ビルケナウ収容所の方へと移動する。

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