自分の決めた人生を生きる
はろー、マリエです。CommuComやってます。
ありがたいことに12月に入り、日々みなさんの脳内整理をお手伝いさせていただいております。脳みその外注をしてもらえてうれしい限りです。
来年1月から正式スタートと思ってた内容をフライングでスタートしてるので、よかったらLINEからご利用くださいまへ
自分で決めることから逃げてた
わたくし、さいきん自覚したことがあるのですが、なんとなーく
「気がついたらうまくいってました♡」
「なるに任せてきたらこうなりました♡」
みたいな、自分の力ではない何かに押し上げられる生き方に憧れてた気がするな、と
例えていうなら、アイドルが
「何度も努力してトレーニングしてオーディション受けて合格しました!」
よりも
「原宿歩いてたらスカウトされて、ぜんぜん芸能界に興味なかったんですけどアイドルになっちゃいました♡」
みたいなのとか(例えが平成)
テストで
「めちゃくちゃ勉強していい点とりました!」
よりも
「ぜんぜん勉強してないのにいい点とっちゃった♡」
みたいな感じ。わかる?
努力してないのにできちゃった♡みたいな。
なんでそこに憧れてたんやろ?
どこにいくかを明確に決める
上記の生き方って、自分ではない何者かに導かれてるようなラッキー感というか、自分から取りにいくがめつさがないというか、そんなところに美しさを感じたんではないかと思う。
しかし、最近のわたしは自分の人生を明確にとりにいくことにした。なんとなく「こうなったらいいな」ではなく、絶対に叶えるためにはどうしたらいいか?と考えるようになった。人生を運命にゆだねるのをやめた。
がんばるほどに、失う人生
わたしは努力の仕方がヘタで、要領がわるく、がんばるほどに結果がでない。昔から学校の勉強も、一番勉強してないのが点数よく、めっちゃ頑張った教科が点数低かった。これは毎回落ちこんだ。
だから露骨に努力することには抵抗感があって、自分がスベる未来がみえるため、がんばってる感を隠したいのかもしれない。
がんばるではなく、ちゃんとやる
わたしは比較的いままで、ラッキーで生き延びさせてもらってきたと思うけど、これから3年間くらいは「ラッキーではなく実力」で生きることを試してみたい。
それは、「がんばる」とか根性論とかではなく、ただシンプルに「ちゃんとやる」なんだと思う。あたりまえを、ちゃんとやる。
いま、個別セッションでみなさんとお話しするなかで、「自分で決めるだけだよ」とお伝えする場面がある。どの道も、自分にしかない正解がある。どの道を選んでも、自分にとって正解にするしかない。それを決めるのは、他人ではなく自分であり、自分の人生の責任は自分でとる。
自分の人生は、自分が一番本気になるしかない。どんなにわたしがその人の人生を本気で考えても、その人を代わりに生きることはできない。
誰かに人生をゆだねたいならそうすればいいけど、他人に左右されない生き方をしたいなら自分で決めるしかない。
嫌われないように生きるんじゃなくて、「自分がどうしたいか」で物事を選べるようになること。そして自分の気持ちをちゃんと理解してあげて、ちゃんと扱ってあげられること。どうやったらいいかは、CommuComの伴走サポートでみっちり実践しますので。笑
なんとなくの最近のわたしの心持ちでした。おやすみなさいませ。