アスリートの本質的価値とは何か
アスリートの本質的価値とは何か。エンタメとしての娯楽、経済への貢献、いろいろ考えられる。
ぼくは、人に夢や勇気を与えられること、だと思う。
もちろん夢や勇気を与えるのは、他のことでもできるが、アスリートのスポーツは特に人の心へ迫る力が強いように感じる。
先日、とあるアスリートのドキュメンタリーを見た。そのアスリートは自分の使命を理解し、壁にぶち当たっても当たり前のように努力していた。その姿に心から感動した。そして自分が武術太極拳というスポーツのアスリートであることに改めて誇りを感じた。
コロナ禍で武術太極拳も練習や大会がなくなり、最低限の生活をするためなら武術太極拳というスポーツは正直必要ないと考えていた。そんな中アスリートの価値を見直したことで、自分が目標に向かっている姿を通して夢や勇気を与えることはまだできるのではないかと思うようになった。
もちろん自分が見たドキュメンタリーのように武術太極拳で切磋琢磨する姿を取り上げてもらうことはまだ難しいかもしれない。そのような姿はおそらく自分のSNSを通してくらいでしか伝えられないだろう。
しかしたとえSNSのフォロワーが100人、10人、1人だとしても伝える価値はあるのではないか。そしてたとえSNSをやっていなくても、自分と練習しているチームメート、コーチ、知り合い、家族へその姿を届けられるのではないだろうか。
アスリートの多くは究極的な趣味の延長でスポーツをしていると思う。そして多くは自身の競技成績ために努力している。それは当たり前のことだし自分もそうだ。だから他人を考える価値をわざわざ見出さなくてもいいかもしれない。
しかし近頃、過度な勝利至上主義による弊害があったり、そもそも勝利などないスポーツもある。真に自分のためだけでは、一人の世界に閉じこもってしまうだけだ。
自分が好きなことに熱中し、かつ人に夢や勇気を与えられたら得ではないか。だからそこに他人への価値を見出してもいいのではないか。
アスリートの本質的価値は人に夢や勇気を与えること。言ってしまえば当たり前のようなことだが、最近はそのような本質を見失って活動していたような気がする。
オリンピック然り、スポーツには経済的な側面が必ずついてまわる。自分もこの武術太極拳を仕事にしようとして四苦八苦している。だからこそ、このアスリートの本質的価値を今一度よく考えてみたくてnoteにまとめてみた。
自分も人に夢や勇気を与えられるアスリートになるために日々精進していきたい。