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「正義」を無視することは出来ない
シンプルですっきりとした印象の映画だった。
よけいな設定とか社会風刺をからめたりせずに、ひたすら淡々と「真実と正義」にフォーカスした内容で、一切ブレない。
とても見やすくて良かった。面白かった。
目下U-NEXTのみでの配信で、銀幕での上映は予定されていない。
クリント・イーストウッド(94!)の遺作になるのではないかとの声から、わりと話題になっている映画。
内容はいわゆる法廷劇で、「12人の怒れる男」などを思い出す。
陪審員裁判の難しさ。
設定に無理があるとは思うが、その設定を通して問いかけたいことがあるんだよな、とも思う。
「もし真犯人が陪審員の中にいたらどないすんねん?」っていう話のおかしみと深刻さのバランスが気持ちいい。
「正義とは」という命題に真っ向から立ち向かった作品だと思う。
同監督の「ハドソン川の奇跡」を見た時にも感じたが、監督の真摯な姿勢がそのまま作品に反映されている。
ベンチに座って二人で話すシーンで弁護士が「じゃあ、正義はどうなるの?」と問いかける。
主人公は目を合わせることが出来ない。
「真実」と「正義」。
何を持って「真実」というのか。
今回の場合の「真実」という概念は主観的で、あまりにも危うく脆い。
ちょうど今ドラマ化した「クジャクのダンス誰が見た」も同じ命題を掲げている。
そういう時代なのだろうか。
真実を明らかにせず、この人はこの先どんな風に生きていけるのだろうか。
被害者のことだって、たった一回墓を参り、きっともう忘れるのだろう。
無実の罪を着せられた男の事も、彼の輝かしいこれからの未来と比べたら、知ったこっちゃないのだろう。
明らかにしなければ、自分の意思でどうにでもなる。
過去も、変えられる。
バーで飲んだのか飲まなかったのか、それは自分しか知らない。
本当は飲んだのかもしれない。
でも「飲んでいない」ということを「真実」として、生きていく。
それはそのまま、「自分が轢いたのは鹿だ」ということにして、生きていく姿と一緒だ。
それでいいのか?
本当にそれでいいのか?と、ラスト、鋭い眼差しで主人公を見つめるのは大衆であり、画面の中から弁護士に見つめられるのもまた、我々大衆である。