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ウイークエンドは小田原で

火曜日は朝から雨が降っていた。

今日は引越し先に荷物がたくさん届く日だ。
ガス開栓の人から連絡が来たので、雨の中いそいそと向かう。
電気・水道とガスの再開をし、生活に足りてないものを揃える。
寝具はまとめてコインランドリーで洗濯して乾燥。
三年間放置されていたワンルームは、完全に三年前のままで時が止まっている。三年の間に増えた本を本棚に並べた。本棚も部屋も少しホコリっぽくて、掃除をしていると何度かくしゃみがでた。
くしゃみをしても一人、と話す相手もなく呟く。

二人で住んだ家とこれから一人で暮らす家を行ったり来たりしながら移住の準備をしていると、改めて気付く。
今まで住んだ家の暮らしやすさよ。

彼は「暮らしやすい家」を作る天才だった。
ちょっとした工夫や発想で、暮らしやすさが格段に上がる。
ここに棚があったらいいな。
ここにこんなフックがあったらいいな。
こういう形のこういうのが欲しいね。
少しずつ、話し合いながら作ってきた。二人で。
ホームセンターに行くたびに、使うのか使わないのかわからない木材やペンキや工具が増えた。
いろんなものを選んで買って揃えて作って。
そういう時間の全てが貴重だった。
しかし私は思い知る。
積み重ならない幸せも、あるのだと。

私が居なくなった後も、この家は暮らしやすく変化し続けていくのだろうと思うと少し寂しい。
それを見届けることが出来ないのも悲しい。
お別れするというのはそういうことだ。

多めに買った歯ブラシのストックも、セールで買い置きしてあるコーヒー豆も、もう私が使うことは無い。
料理をしない彼は、たくさんの調味料を持て余すだろう。
あと数日でなるべく使い切るよう、料理の計画を立てる。

朝の通勤では途中の駅まで同じ電車で、よく電車の中吊りを見て、いつか行ってみたいねーとか、いつか食べに行こうね、と話すことがあったがそれももう無い。
ささやかな未来の約束も出来ない悲しみ。

「お別れ会をしましょう」
彼は突然思いついたようにそう言った。

「お別れ会?」
「うん。旅行。行こう」

正直、私はそんな気持ちにはあまりなれなかったんだけど、まぁ、君がそう言うなら、としぶしぶ了承した。
「どこへ行くの?」
「どこでもいい。行きたいところない?食べたいものとか」

そうだなぁ。ああ、そう言えばいつだったか小田原のうなぎが美味しいらしいよ、という話をしていたけど結局食べに行かなかったよね、あれ。なんでだっけ。あれだ、コロナの後遺症で味覚障害になって。ああ、そうだったかも。いいじゃん、それ行こう、となって、小田原に行くなら行きたい所があるのを、私は突然思い出した。

あそこだ。
あそこしかない。
あそこなら、お別れ会に相応しい。

そんな訳で週末は急遽、小田原へ行く事になった。
どうせ有給休暇はあふれまくっている。
たまにはいいでしょう。
こんな日があっても。

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