ラスアス深堀考察~ラスアスが示した『選択』の意味~
皆さんこんにちわ!まっきーです。今回はゲームのラスアスのテーマについて考察したいと思います!
※ゲームのネタバレがありますので、未プレイの方はご注意ください。
【ラスアスとは】
念のため、ゲーム概要について触れておきます。『The Last Of Us』は2013年にPS3で発売されたゲームで、2014年1月13日時点では、200以上ものメディアでゲーム・オブ・ザ・イヤー(GOTY)を獲得し、世界で高い評価を受けたゲーム。PS3,4でしかプレイできないゲームです。
突如発生した寄生菌のパンデミックによって荒廃した世界で、娘を失った中年のジョエルと、パンデミック後に生まれた少女のエリーが出会う物語。
運び屋のジョエルとテスは、ファイアフライのマーリーンからある”荷物”を運ぶよう依頼を受ける。その”荷物”とは、人類存続の鍵を握る寄生菌の抗体を持つ少女、エリーであったー。
サバイバルホラーでありながら、人間描写が非常にリアルで、まるでドラマや映画を観ているかのようなストーリーが本作の魅力。
究極の"選択"をテーマに据えた本作
このゲームの根底にあったテーマ、ラスアスが我々に対して提示した”選択”は、このゲームを表現する上で非常に重要な要素となっている。その選択とは、以下の”問い”でした。
【世界を救うため、あなたは大切な人間の命を差し出せますか?】
本作ラスアスでは、物語の終盤でジョエルがこの選択を突き付けられる(正確にはジョエルに選択権は無かったが…)。
ジョエルは迷わずエリーを救う選択を取り、邪魔するファイアフライの兵士達や医者達を殺して病院から逃亡する。しかも、このゲームはそこでエンディングを迎える。
ゲームとは言え、もしかしたらジョエルのこの”選択”に違和感を覚えた方も居るかも知れない。
一方で、ジョエルがあのまま何もせず病院を去ってしまったら、物語として成り立たない。そもそも大事な一人娘サラを過去に失っているジョエルにとって、再び手に入れた、失い難い存在となったエリーを見捨てるなどあり得ない。
その行動に若干の違和感を持ちつつも、これまでの旅を目のあたりにしてきたプレイヤーにとっては、最終的なジョエルの選択を納得できるように、上手く構成されたストーリーと言えます。
同じような”選択肢”の映画
実は、映画の『マトリックス』にも、これとほぼ同じ選択肢が主人公のネオに対して提示されます。2作目である『マトリックス リローデッド』の終盤におけるアーキテクトとの会話がそのシーン。
少し長いですが、以下はアーキテクトがネオに対して発言した内容の一部です。
――そこに2つの扉がある。右の扉はソース、そしてザイオンの救済へとつながっている。
左の扉はマトリックス、彼女のいる所へ、そして君たち人類の終焉の運命へと戻る扉だ。
君が適切に挙げたように、これは選択の問題なのだよ。
しかし君と私は既に君がどちらを選ぶのか知っているとは思わないかね?
私には既に連鎖反応が見えている、際立った感情の発現を示す化学反応の兆候だ。
それは論理や常識をも圧倒するように出来ていて、その感情は、
これほど単純かつ明白な真実さえ見えないほどに君を盲目にしてしまっている……。
ここでネオは「人類を救う」か「トリニティを救う」かの選択を迫られ、ネオは迷わずトリニティを選択。この行動をアーキテクトは以下のように表現していますね。
それは論理や常識をも圧倒するように出来ていて、その感情は、これほど単純かつ明白な真実さえ見えないほどに君を盲目にしてしまっている……。
たった1人の命の犠牲で、人類全体が存続可能になるのあれば、その選択は合理的に考えれば極めて正しいと言えます。しかし、ネオがトリニティを選んだのは、アーキテクトは指摘した、
『論理や常識をも圧倒するその感情(つまりトリニティへの愛情)』
を指しているの思うのですが、これはごく普通の人間なら、正しい選択に思いますよね。ジョエルにおいても、全く同じ現象が起きているのだと言えます。
ファイアフライの選択
ファイアフライの立場から考えた場合、エリーの命を奪う事に対し、どのような議論や決定があったのか考察すると、リーダーのマーリーンと医者のジェリー(アビーの父親)の会話に答えがあるように思う。
医者ジェリーは、エリーを殺す事に対し「人類のこれまでの犠牲を考えれば、これは仕方ないことだ」と、アーキテクトのように極めて合理的な発言をしています。その発言に苛立ったマーリーンは、次のような質問をジェリーにぶつける。
「それが自分の娘(アビー)だとしても、同じ事が言えるの?」
その言葉を聞いたジェリーは言葉を失う。ここでようやく自分の言っていた事が”極めて他人事であった”事に気付くわけですね。まさにアーキテクトの視点であり、赤の他人だから言える言葉。
もし世界を救うためだから、と言う理由で子供の命を差し出せる親が居るとしたら、非常に利己的な人間にしか見えません。そういう意味でも、ジョエルやネオの行動は極めて人間的で、ごく当たり前の選択だと言えます。
正しい答えはない
この「選択」については、どちらが正しいと言えない。ひとりの人間の命で多くの命が救えるなら、それはアーキテクトが話していた通り、非常に合理的な判断と言えます。
しかし、その命の対象が自分自身ではなく自分の大切な人間であったとき、途端に難しくなる。また、当事者ではない人間が、ジェリーのような発言をしても説得力がないし、まさに他人事なわけです。
もし仮に、エリーの意識があって、エリー自らが実験体になる事を了承するような事態であったら、少し話が変わってくる可能性もあります。しかし、そうならないように、あえてそう設定しているのだと思います。
あえて答えの無い問いをテーマにした、と言えます。
しかし、こんな難しいテーマ(選択)をよく取り扱ったなと思うし、非常に面白いゲーム仕上げているところがすごいな、と思います。
本作のPARTⅡでも、同じように難しいテーマである”復讐”をベースに物語を作ってましたね。ノーティドックって、あえてこういった難しく重いテーマを選び、高いクオリティの作品を作っている訳ですから、改めてすごい会社だな、と思った次第です。
また、今後もラスアスに関連した深堀解説を別途予定していますので、良かったらそちらも読んで頂けたらと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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