伏線回収
後2週間で生まれて育った場所から離れた新しい生活がスタートする。
38年間生きてきて一人暮らしの経験は一度もなく、家族だけでという生活もしてこず、常に身内や助けてくれる人がそばにいる生活をしてきたので不安な気持ちはある。引っ越す場所は誰か知り合いがいてて、自分自身その土地に詳しいわけでもなく、何もわからないけど直感で良いと思ったところでこれから生きる。わたしがそう決めた。
人生のあらゆる選択は自分の楽しいと思う方を選ぶことを最近とても意識している。どんな小さいことでも逆に大きな選択も自分の心がワクワクする方を選ぶ。
わたしの選択によって、巻き込まれてしまう人たち(特に娘たち)からしたらたまったもんじゃないよということも起きるかもしれないけれど、わたしの人生の選択を人の顔色をうかがって選んでも良い結果にはならない。どんな些細なことでも自分の心に嘘をつくと周り回ってしんどくなる。何があっても自分の人生の責任を取れるのは自分しかいない。
わたしはマイペースにわがままに生きたい。
こうなると娘たちは母よ勘弁してくれ〜と、なってるのかな?と考えたりもするけど、今娘たちと過ごしていて、話をしていてもそんな感じはないので大丈夫だと思う。そう感じている!
娘たちもこれからのことについて楽しそうに話をしてくれるし、逆に不安なこともちゃんと言ってくれる。いろんなことを娘たちと話をして、たくましく育ってるなあとわたしは安心する。
わたしの母は38歳で癌になった。そこから7年の闘病生活の末亡くなった。わたしは今38歳で後数ヶ月で39歳になる。いたって元気で、ありがたいことに肩こりや腰痛など今までなったこともないし、あんまり体力の衰えなども感じていない。ただ単に鈍感なだけかもしれないけど。本当によく食べて、毎日ちゃんと夜になると眠たくなるし、一度寝たらしっかりぐっすり眠れる。我ながら丈夫な身体だと思う。感謝しかない。
母の末期、わたしは母の看護をしていた。介護というのかな。今思えば、母の身の回りのことをさせてもらって良かったなあと思ったりもする。思い出すと泣けちゃうので詳しくは書かないでおくけど、やっぱりわたしも若かったし、しんどかったし、こんなに若い母が死ぬなんて思ってもなかったから、このまま死ぬなんてことがあったらと何度も気持ちが本当にしんどくなってしまったこともあった。そんな時に母に言われたのが「マイペース生きたらいいよ」だった。引越しの準備で片付けをしてたら母が亡くなった時の自分の日記が出てきて書いてあった。そうやったそうやった、もっとマイペースにいかんとあかんなあとあの時の気持ちも一緒に思い出した。
母もわたしに負担をかけていると思っていて気遣っての言葉だと思うし、わたしも今自分のこどもに自分の介護をしてもらうと考えると、同じことを言うだろうと思う。どこか施設に入れてくれとも思うだろうし、こどもにはこどもの人生を生きてもらいたい。というか、楽しい人生を生きてほしいと思う。
誰もが人生一度きりなんです。
自分の母親が腰の曲がるくらい生きれない人なんて思ってもなかった。人は簡単に死ぬし、とってもあっけない。人1人死んでもこの世界は何も変わらない。
だからしたいと感じたことは我慢せずしないともったいない。できることはしたい。したいと思ったことはしたい。なんでもできるのにできない理由を探すのはもったいない。わたしの人生いつでもわたしの人生のはずなのになんか忘れてた気がするなあと、ふと思い出して今から伏線回収。
やっとかーって感じやけど、こういうのって遅い早いとかなくて、タイミングかなと。そう思うようにしてる。なんでもタイミング。焦らず、自分のペースでマイペースに生きる。人生の選択は楽しいと感じる方を選んでいく。こどもたちの見本になるような生き方ができたらいいと思う。誰かのためにではなく、自分の人生は自分のために生きるためにある。まずは自分。それを教えてくれてたのは母だったなあと、ちょっと思い出しただけ。