長女にこれ読んでみ?と言われて読んだら思い出したこと
生きてたら人生こんなこともあるんやなということがまた起こった。自分の生きてきた道はおもしろい。そう思えたのはつい最近かもしれないけど、なんか違うというところからやっと抜け出す道が見えてきたような気がする。
わたしの人生、幼少期ごろからすでになかなかおもろい。
親も離婚しててわたしは母親に引き取られたから父親の記憶はほぼないけど、父親は武術が好きで家にはキックミットやらパンチミット、武器なんかもあって、わたしはそれをおもちゃにして遊んでた。それで遊んでたのかやらされてたのかわからんけど覚えてる。『ここ蹴って』『パンチする時手の形はこう!』みたいな、思い出すとなんか笑える。あった記憶かわたしが作り出してるかはわからないけど、部屋の風景やなんとなく家にあったトレーニンググッズたちの形も思い出せるのであった記憶かなと思う。父親がヌンチャクを振り回してて、わたしもやってみと言われてヌンチャクをふりまわしてたのを覚えてる。黒い棒が2本1本のチェーンで繋がれたヌンチャクはこどもの手のひらではその持つところを握りしめることはできなくてしかも結構重たくて片手で振り回すのはかなりの力が必要で両手で持って縄跳びみたいに跳ぼうとしたり、引っ張ってもチェーンがガンッと突っ張るだけでなんの遊びも思いつかず飽きてポイってしてたなと、そんな記憶。
妹が生まれてから父親は家からいなくなったイメージがある。写真もなんかないし。わたしが3歳の頃には父親は一緒に住んでなかったんやと思うけど、幼稚園の運動会には来てたり、小学生の低学年くらいまで運動会にはやってきてた覚えがあるので、あれは別居やったんかなと思ったり。
ある時から父親と父方の祖父母に会いにいく時、母がついてこなくなって、妹と2人黄色い車の後ろに乗せられて『なんでわたしら2人なんやろ』と思ったのも覚えてる。黄色い車の後ろの窓は取手をくるくる回して開け閉めするタイプでいつもそのくるくるというかカクカク回って開けにくい取手を回して窓を開けて母親にバイバイって手を振って、開けっ放しは危ないからって閉めるけど、車の匂いが苦手やったので少しだけ開けて風を通してたけど、カクカク回る回しにくくて重い取手を何回も回すのがめんどくさかっただけかもしれない。車内はグレーやった。
母親にもう父親に会いたくないって言ったのは何歳の時とははっきり覚えてないけど、その瞬間ははっきり覚えてる。
小学校低学年の時、誕生日プレゼントを買ってもらうとのことで、父親が車でやってきて案の定母親は抜きでわたしと妹だけ車に乗せられた。誕生日なのでおもちゃ屋さんに行って2人で何を買ってもらうか、幼いながらになぜか値段のことも気にしつつ、何を買ってもらうか選んでた時父親に「今年は2人で1つ選び。」と言われた。「2人で1つ 2人で ひとつ ?」と、2人とも頭にハテナが浮かんでたと思う。わたしと妹は誕生日が近いので一緒でいいやろという考えなのか、単純にお金がなかったのか、なんやったのかはわたしが母親になった今もわからないけど「2人で1つ選び」というその言葉で当時のわたしの気持ちは萎えてあまりにも衝撃的すぎてその後何を買ってもらったとかはまったく覚えてない。
当時ご近所物語が流行ってて、青いUFO型トランシーバーをみつけた時にこれは2個買って2人で1つやけど?と思った記憶はなんかある。
おそらく誕生日付近とか何かの行事がある時は父親がやってきて遊びに連れていくということになってたんやと思う。だからと言ってそんな楽しかったなあいう記憶はなくて、父方の祖父母はかわいがってくれたし優しかったけど、一緒に食べるごはんが本当にいつもおいしくなかった。いつもダイエーかイズミヤかなスーパーで買ってくるお惣菜で、わたしはいまだにスーパーのサラダが苦手。酸っぱすぎるマカロニサラダ、冷えた唐揚げ、チンはしてるけどべちょっとした餃子、かたい揚げ物たち、多分、父方の祖母は料理が苦手やったんやろね。スーパーのお惣菜をそのまま蓋を開けたまま、蓋だけハサミで切ってテーブルに並べて食べる。こどもたちだけで父親とともに祖父母宅に泊まることもあって、朝ごはんは毎回前日に買いに行ったスーパーの食パンにマーガリンそしてインスタントのポタージュスープ、ごま油たっぷりで焼く卵焼き。ごま油で焼く卵焼きはおいしいよ、でも祖母の料理で覚えてるのはこの1つかもしれない。その時の空気感や家の匂いやキッチンの様子も思い出せるけど、笑って楽しかったなというわたしは登場してなくて、ここはわたしの場所じゃないなと思ってたなと思う。
長女にUSO4の『私と嘘』という旦悠輔さんのお話を読んでみてと言われて、なんとなく読んだら
あわわわわあわわわあわわわわわえええええええ
みたいな?言葉にできない感覚。
わたしも同じとなった。
なんか違うないう感覚。とてもわかる。わかるというと違うかも知らないけど、なにこれわかるって一気読みした。
ああ、わたし最近?いつから?その気持ちを抑え込んでやり過ごしてたなあって、自分を生き切るとか口では言いながら、頭でも考えながらできてないって、素直に思った。びっくり衝撃的な、なんやろ、言葉にできない感覚。
それでわたしもなんか吐き出そう、なんか書きたいわと、したらこれを書いてた。
何が正しいとかああしてたらこうしてたらとか何が言いたいとかなんかそんなことはないし、過去って本当はどうでもいいことやけど、なんかこう自分ってなんなんやろと過去を見ながら今を見るというか、やっと今になって自分というものがどういうものなのかわかってきたかもしれないなあと、まだまだ全然まとまらないけど、今はなんか違うという感覚を取り戻せてよかった。
旦悠輔さんの私と嘘を読んで良かった。読んだタイミングもまたすごい。長女にも感謝。
人生ってほんまに自分でつくっていってるなと感じる。
おもろいと思うかそうじゃないかも全部自分だけでいいし、わたしはわたしのことかわいそうって思ったことはやっぱりなくて、いつも冷静になって振り返るたびにわたしってめちゃくちゃおもろい人生送ってんなーって思う。とんでもない選択ばっかりして生きてるよなって思う。
それでいいし、それが良いね。わたしの人生これからもっと楽しくなる。それしかないわ。