日々の迷い
「ゆっくり」
そう、ゆっくりし始めて、もう2ヶ月はゆうに経つ
「人生の夏休み」
いつだったか、誰かにそう言った私のこの時間は
人生で2度目の夏休みだ
今回も、私は「私」の心を無視した
頭で考えて「あともう少し」「できるかもしれない」「これぐらい大丈夫」
そう私に言い聞かせた
今回もやっぱり、私の体は(正しくはきっと心が)
私の想定よりも早く、悲鳴を上げ、限界を迎えた
前回よりも歳を取り、母も歳を取った
彼女もまもなく現職を辞めるらしい
体がもう限界だと言う
女手一つで、ここまで育ててくれた母
彼女の無い脛に噛り付くような真似はしたくない
守るべきものは相変わらず自分の生活だけだけれど、
日々繰り返されるのは
「何の仕事がしたいの?」
「何が向いてるの?」
「何がしたいの?」
「どうしたいの?」
「どう生きたの?」
という問い
たくさん、私から問われる
繰り返し、何度も何度も
何度も何度も何度も何度も何度も
それは、ベッドで横たわっているときに
喫茶店で本を読んでいるとき
キッチンで料理をしながら
Instagramを見ながら
あるいは誰かと話しているときに
それでも、これといった明確な答えは何も出ない
「○○かな」
「○○とかしてみたいかも?」
「○○なら今までの経験が…」
ぼそぼそと申し訳程度の声が返ってくる程度で、
結局何がしたいのかはよくわからない
一方で、同時に必ず聞こえてくる声は、
「こわい」
「わからない」
「助けて」
そんな言葉ばかり
その声さえも、あまり大きな声ではなくて、
途方に暮れているような、泣きそうな、
それでいて、そう言っていられるだけの余裕のある声で
腹が立たないと言っては嘘になる
それでも、「ゆっくり」する前の私は私の声を何度も無視してきた
おかげで、「私」はいまだに上手に声が出せないまま、
どこまで甘えていていいのか、どれほど頑張るべきなのか、
いつ、どのタイミングで、どんな風に動き出せばいいのか、
分からない
「分からない」
今日もこの言葉に甘えている
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