ファイル1ミニFM局「FM KURARA」(埼玉県本庄市)儘田嘉彦局長
空き家や空き店舗などが地域の課題となる一方で、そうした古民家・古建築等を活用して、まちづくりの活動を展開したり、商売につなげたりする若者も増えています。そうした若い世代の姿を2年間にわたりリポートした、日本住宅新聞での小林真さんの連載を、さらに加筆して順次配信していきます。3回目は連載初回に登場したファイル1、ミニFM局「FA KURARA」儘田嘉彦さんです。(2015年11月取材)
演出撮影となった全国紙の取材風景(cafe NINOKURAにて。中央が儘田局長)
「ぼくに建物を貸してください!」
埼玉県本庄市でミニFM局「FM KURARA」がオンエア開始した2014年10月。「オープン古(フル)ハウス」ワークショップで儘田嘉彦局長は、参加者にこうアピールした。
「古ハウス」は中山道沿いを中心に残る古い建物を公開するイベントだ。明治22年建造の酒販店味噌醤油蔵を利用した「cafe NINOKURA」が、リニューアルに関係した市民団体「本庄まちNET」と協力して開催し、この回が第4回。大学の地域政策学部を卒業して市内の金融機関勤務2年目だった局長は、14年1月、24歳の誕生日に行われた第3回に高校時代の仲間らと参加した。
「儘田くんたちの登場が最大のニュース」
開店3年目だったこの年を、NINOKURA飯塚由美蔵主はこう振り返った。
週2回の夜営業、勤務が終わった局長は私服に着替えて顔を出す。女性客中心の昼と違い、夜はディープな男性客“ナイトピープル”が多数派だ。
古い建物は世代を超えた人々を集める。ある夜のカフェ閉店後、腹がへったと駅前のラーメン屋に繰り出したのは、20代の局長と30代、50代、70代の4人組だった。
それから、映画上映会やハンドメイド作家の展示、ライブなど「地域の文化的ハブ」をめざすカフェは、表現衝動をもてあます20代サラリーマンに絶好のプレイグラウンドとなる。誰でも何でものローシキイ音楽祭やカフェ客中心の素人劇団公演に出演、「古ハウス」自主制作映画制作参加、上映会に訪れる映画関係者との交流…。そうしてたどりついたのが、第4回古ハウスの情報発信ツールとしてのミニFM局開設である。
となりのとなりのまち熊谷市「ヤバイラジオ」から技術サポートを受けてのスタート。月一回更新のレギュラー番組のほか、周辺イベントのCMやレポートをNINOKURA二階の発信機とインターネットで放送している。NINOKURAにマニュアルと録音機を置き、「まちの声」も募集中だ。
「大学で専攻した『まちづくり』ですが、そのことば自体、実はしっくりきません。住む人が自分がおもしろいと思うことを続けていく。それがまちづくりじゃないでしょうか」
局長の父親は、現在は典型的なシャッター商店街となった本庄の駅前でビートルズの曲から店名をとった店を営んでいた。
「よく父がいいます。昔はよかった。今の本庄を見るとさびしくてしょうがないから、もうまつりにも行きたくないと。
でもぼくらの世代は、そういう本庄は知らない。自分が住んでる、よく知ってる人がいるここで何かするしかないんです」
局ロゴマークのコピーは「だれかとだれかが、つながるラジオ」。地元の高校軽音楽部の後輩をオリジナル音楽制作や音響スタッフに加えたほか、市役所各課がアプローチ、全国紙で掲載されるなど認知度は高まりつつある。
“近くの大事さ”が再認識された東日本大震災以降、免許のいらないミニFMの動きは全国的に目立ってきた。インターネット時代、他地域のミニFM局との情報交換、コラボ番組づくりはさかん。最近も熊谷ヤバイラジオスタッフとともに、全行程1500キロの東北ラジオ局ツアーを敢行している。
開局1周年を迎えた現在、大きな目標が二つ。一つは自分たちのステーション開設だ。
「もともと古ハウスが原点。拠点もやっぱり昔からある建物がいいですね」
CDや古本も置くカルチャー発信基地兼用が理想。それが冒頭の「貸してください」発言となった。
「近くにいいお店が増えると、本庄を訪れる人の楽しみも増える」
というNINOKURA蔵主のほか、市まちづくりセクターの期待も大。時々、物件をみにいっては賃貸料にため息をつく。
もう一つは市域全体程度をカバーするため認可が必要なコミュニティFMへのステップアップ。人口や人材の不足をカバーする手段として、周辺のミニFMなどとの連携も探っている。
「電波にも文化にも境はありません。市民はとなりまちの情報もほしいし、お店やイベント主催者もチャンスが広がるはずです」
しかしこの秋、FM KURARAに危機が訪れた。栃木県でコミュニティFMくららが開局したのだ。名称は公募という。
「びっくりしましたけど、ネタにもなりますしね(笑)。もともと思ってもみなかったラジオ局長。楽しんでやるだけです」
局長のメールアドレスは「NOWHERE.MAMAN」。どこでもない、空き店舗だらけのまちも想定外のニュースも、平成生まれにはラジオからの知らないメロディーのように輝いている。
儘田嘉彦(ままだよしひこ)
FM KURARA局長、1991年1月本庄生、英国好きのカーマニア。今年の夏、高校時代の元2年4組でトリオのバンド「ちうぶらりん」を結成
現Facebookのプロフィール画像
【2017年12月、記事から2年1か月後の儘田さん】
2016年9月、ついに金融機関を退職。実家を出て市内で同居生活を始めたり、NINOKURA“夜の店長”を務めたりで半年を過ごした後、
NINOKURA “夜の蔵主”時代
2017年4月からファイル23の学童保育「じぃじとばぁばの宝物・本庄のおうち」スタッフとしてはたらいている。
空き家活用の「じぃじとばぁばの宝物・本庄のおうち」では学童対応、事務と八面六臂の活躍
同時に休止中だった「FM KURARA」を「ガレージノート本庄」と改称。古い建物を活かす若手建築家集団「本庄アーキリンク」とともに空き店舗「旧新喜庵・ミセシー花咲」をベースに、市内6高校合同夏の文化祭「六高祭」の後夜祭「六夜祭」や本庄まつり休憩所、となりのとなりまち熊谷ヤバイラジオ臨時スタッフと、背伸びしない&着実な活動を展開中だ。
2017年12月29日には、旧新喜庵・ミセシー花咲で忘年会を開催。
https://www.facebook.com/events/1535930196487298/
旧新喜庵・ミセシー花咲での活動は地元の人々とのコミュニケーションを重視
【本人コメント】
金融機関の仕事を辞めて1年が経ちましたが、何をやるにしても「堂々とやれる」今の生活はとても健やかです。
自分や親父が生まれ育った街で、「いままで」のモノを活かしながら「これから」のために仕事や活動ができる、それはとても幸せなことだと思います。
ラジオを始めた時もそうでしたが、先行きが分からない部分はもちろんたくさんあります。
でも根っこの部分は10年前、高校生の頃に「本庄を明るくして親父を元気にしたいな」と思い始めたころから、まったく変わっていません。
だから今自分がやっていることは「どこかできっとつながる」と信じていて、また、こうして生きていくしか僕にはできないのかな、とも感じています。
ありがたいことに、心強い仲間もたくさんできました。
カタチや結果にばかり捉われず、心が震える瞬間を大切にしていきたいと思います。
小林 真(こばやし・まこと)
1963年埼玉県深谷市出身・在住。学習塾蘭塾塾長、編集者・ライター、本庄NINOKURA広報。深谷、本庄でまちづくりや食などの活動にたずさわり、2014年から17年まで熊谷市非常勤「共助仕掛人」。17年4月からNPOくまがや理事として市民活動支援センター所長