もも
一歳半検診後、息子を療育園に通わせたかったけど、満員で諦めた。その後はずっと孤独な日々が続いた。
息子が一歳半検診で発達の遅れがあると分かり、臨床心理士さんから療育園を勧めてもらったけど、、
「若年性アルツハイマーの末期です」 「重度の認知症」 入院中の父の担当医から何度も聞いた言葉 どのように父が亡くなる可能性が高いのか、説明も受けた。 「認知症で食べる行為自体を忘れて、栄養失調で亡くなる可能性」 「栄養状態が良くないことから感染症にかかる可能性」 医師から説明を受けた時、 「ああ、父はもう長くないのか」と思った。 若年性アルツハイマーになって7年、本当に色々なことがあった。 笑ったり、泣いたり、怒ったり。 思えば笑い合えた時間の方が少ないの
若年性アルツハイマーの父が入院する時、もしかしたら家帰れないかもしれないと頭のどこかでは思ってたけど、たぶん退院するのは難しそうだ コロナが落ち着いたら、面会したい 私のことは忘れてるかもだけど、家族の誰かを覚えててくれたら嬉しい
若年性アルツハイマーで入院中の父ですが、薬で少し落ち着いてジュースを定期的にとれているそうで、少し安心しました。 今後家族で色々なことを考えなければなりませんが、支え合っていけたらと思います。。
父の体調が厳しい状況になってしまいました。退院できると信じていましたが難しそうです。食べ物を投げてしまい、食事ができないので栄養状態が良くないそうです。新しい薬(精神安定剤)が効いてくれたらと祈っています。若年性アルツハイマー七年目、頭では覚悟してても気持ちが追い付かないです。
父の若年性アルツハイマーは進行性の病気で治ることはない。 息子の障がいも治らない。 そして自分のメニエール病も治るか分からない。 日常生活に支障が出るほどのめまいと難聴。 この状況では、もう働けるのかさえ分からない。 将来のことを考えると恐ろしくて、希望など持てる状態ではなかった。 もうダメだ。 私の人生は詰んでしまっているのではないか。 どうやって未来に希望を見出せというのか。 絶望的じゃないか。 母や主人は私が倒れてから、休みを沢山とってしまい、仕
父の介護、息子の自閉症に加えて、自分自身もいつ治るか分からないような病気になってしまった。 一日中不快な耳鳴りとめまいに襲われるのは、大変なストレスだった。 父が私の代わりに英太を沢山見てくれて、本当に助けてもらった。 だけど、父の物忘れは悪くなる一方で、水を流せば流しっぱなしにしてしまったり、 冷蔵庫を開けたら、冷蔵庫の警報が鳴ってても開けっぱなしにしてしまったりと、 声かけが必要な状況だった。 私は息子が自閉症の疑いがあると判明してからすぐに、メニエール病
続く
発達外来にて、英太に自閉症の疑いがあることが判明した。 一歳半検診受けてから、頭の中では、おそらく英太は自閉症なのだろうと分かっていたけど、心のどこかで、何かの間違いであって欲しいと願っていた。 家族みんなに英太が発達障がいだって分かって欲しい気持ちと、病院の先生から「発達障がいじゃありません」と否定してもらいたいという矛盾した気持ちをずっと抱えていた。 「自閉症の可能性が高い」と告げられて、 「早めに分かって良かったです」と 先生の前ではそう言ったけど、心の中
前回の記事にて、児童発達支援の見学について記載したので、今回は児童発達支援を利用するまでの流れをまとめました。 あくまでも、私の住む地域の利用の流れをまとめたものなので、お住まいの自治体にご確認いただければと思います。 ①利用を希望する事業所を決める 私の住む地域の場合は、障がい福祉課にて「事業所一覧表」を作成しており、窓口でもらうことができます。 私の場合は、そもそも「児童発達支援」自体を知りませんでした。 息