現状子なし。本能しんどい。②
前回の続きになります。
2022年の終わり頃に、妊活はおしまいにした私たち夫婦。「自然にまかせて、治療までするのは止めよう。」という雰囲気でしたが、2人ともミッション化した営みにうんざりしていたので、あっという間にレスになりました。
このまま「自然」に任せたら絶対できないけどまぁ良いかくらいに思い生活していた2024年初夏。
あれは義実家を訪問していたときのこと。テレビで60代の絵本作家夫と30代後半の妻が、不妊治療を経て2人の子を授かったという内容のドキュメンタリーが始まりました。結婚5年産まない嫁は冷や汗モノです。心拍数が上がり、交感神経が優位になっていくのを感じながら何とかその場をやり過ごしました。帰りの車で「あの番組気まずかったね。。」と話すと、夫は「あ〜。楽しみにしてるだろうから子供は持たないかもって話さないとなぁ。」とつぶやきました。
このとき小さなトゲが胸に刺さりました。あの優しい義母が、私たちの子を楽しみにしているのかぁ、、、と。(自分の両親は、孫に興味なしのクセ強系)
そして次の日、大河ドラマ光る君へを観ていたとき。藤原道長が娘を天皇に入内させることを妻倫子に告げると、「殿、どうしてもそうするとおっしゃるなら、私を殺してからにしてください。」と倫子が凄むシーン。(※ドラマ内で入内は女が不幸になると思われていました。)
なんだか私は圧倒されたのでした。それほど大切な存在なのかと。
今思うと大したことじゃない上に、後に倫子様は他の娘も次々入内させまくるのですが、当時「この感情を知らなくていいのか、、?」とどっかのチャクラが開いたかんじがしたのでした。
そこから、落ち着かない日々が始まります。気がつくとほとんど全てのものを、出産と結びつけて考え込みます。「やらずに後悔よりやって後悔」みたいな格言がやたら目に入ります。苦しすぎてカウンセリングにも通い始めます。何とか自分をなだめすかして眠りについても、朝にはもう1人の自分(DNA?)が、「いつまで逃げてんだよォ」とヤンキーさながらに待ち伏せしています。そんな日々がひと月ほど続き、疲れ果てた私はもうその状態から助かりたい一心で、8月某日地元で評判の産婦人科に駆け込みました。もう行くから許して、そんな気持ちでした。夫も私の悩み狂う様を案じていたので反対しませんでした。
そして今回も、あれよあれよと不妊治療がスタート。年齢的にタイミング法は飛ばして人工授精からになりました。人工が3回ダメなら、体外受精に進むコースになるそうです。もう、まな板の上の鯉の気持ちで婦人科通いの日々が始まりました。
しかし、2ヶ月後。人工授精が2回失敗したところで、また私は逃亡しました。生理が来るたびに安心している自分がいたからです。
、、、またしても書ききれなかったので、次回に続きます。🙇♀️🙇♀️🙇♀️