【日記】上京した保育士1年目が適応障害になった話 #1
はじめまして。社会人の皆さん毎日お疲れ様です。
これは上京して保育士として働き始めた私が4月から現在までを振り返りながらつぶやくノートです。
もし読んでいてこっちまで気分落ちちゃうよ…って方がいたらすみません(笑)
これから上京を考えている方、保育士に興味を持っている方に、あくまで一意見としてですが伝えられたらなと思っています。また、このノートを見て少しでも共感してくださる方がいれば嬉しいです。
①自身について(自己紹介)
私はとある東海地方に生まれ、両親と4姉妹という家族構成で賑やかに暮らしていました。そして今年の3月、保育士養成学科のある短期大学を卒業し、憧れの東京へ上京…!
まぁただ単に都会の憧れもありましたが、実は保育士不足の改善のため、大都市では[借り上げ社宅制度]というものがあり、国から月8万2000円までを家賃負担してもらえるという制度に惹かれて上京を決意したのです。(収入も田舎じゃ大違いだと聞いて浮かれてた)
しかし、東京の保育園から内定をもらった翌月、同級生だった彼と再会し、お付き合いすることに。
こうして上京と同時に遠距離恋愛もスタートしたのでした…。
②4月~6月の振り返り
~4月編~
家族や地元の友達やバイト先の仲間、そして大好きな彼と離れることになって、本当に寂しい気持ちでいっぱいでした。それと同時に、憧れの大都市に住めるという楽しみや喜びももちろんあり、さまざまな想いを胸に上京してきました。研修で訪れた就職先の保育園も、なんだかキラキラして見えて…楽しそう!!
そしていざ仕事が始まると、キラキラとは程遠く…
「待って、週5で働くってこんなにしんどいの…?」
これが1番の感想でした。ほんとに。
社会人の皆さんがどれだけ凄いのか、本当に実感させられました。ありがとう父ちゃん母ちゃん……。
それに加え、保育士という職業はとても体力勝負なところがあり、気疲れや慣れないこと、子どもたちとの関わりに毎日ヘトヘトになって帰る日々。
こんな慣れない環境のため、もちろん体調も崩し鼻水や咳は毎日止まりませんでした。
でも社会人スタートなんてみんなしんどいよな、自分だけじゃないんだ…と自分を奮い立たせていました。
~5月編~
タイムスケジュールはだいたい把握できてきたり、流れが分かってきたりと少〜しだけ仕事に慣れてきた頃、ふと現実を見ると周りにほとんど誰もおらず、孤独であることが辛くなってきました。唯一東京にいる友達は飲食店勤務だから休みも合わず、頻繁に会える距離でもなく、、遠距離の彼とも会えるのは月に1度、交互に会いに行こうと約束していたので月に1回という頻度がこんなにも寂しくて辛いものなのだと現実を突きつけられました。3月まではほぼ毎日というほど会っていた私たち。
そばにいてくれた当たり前の存在がいないという不安は想像よりも遥かに大きかったのです。
そんな中でも仕事はこなさなければいけない、少しずつしんどさは増していきましたが「これも五月病かな…」とあまり自分の気持ちに向き合っていませんでした。
~6月編~
「もう6月なのにまだ五月病が続いてる気がする…」そう思いながら重い体を起こして仕事に行く日々。保育園という場所は本当にウイルスだらけで、ほとんど毎日といってもいいくらい風邪の症状が続いていました。最初は免疫がついてないからよく体調崩すのよねぇと先輩保育士にも気遣っていただきながらも、なんとか出勤はしていました。しかしあまりにも咳が治らないので呼吸器科を受診したところ、咳喘息と診断されました。ここで
「なんで仕事してるだけなのに自分の健康までも害されなきゃいけないんだ……」
と、保育士の職業に対してマイナスな感情を持つようになってきました。
この辺りから自分がリーダーとなって遊びの計画から実践までを任されるようになったのですが、なにもかも初めてのため当たり前に上手くいかないことだらけ。「最初はみんなそうだったから…」と先輩に慰めてもらっても私はなんでこんなにダメなんだろう、保育士向いてないや、と自信をなくしていくばかりでした。
#2に続く